厳しい現実を見る勇気と見ない勇気

黒坂岳央です。

情報化社会の現代において、最も人生に影響を与える要素は「情報」で間違いないだろう。人生の生き方を一変させる情報もあるし、人との出会いとはすなわち情報との出会いと解釈することも可能だろう。

だが現代人は情報の重要性を頭では理解しつつも、時には耳が痛い自分を成長、変化をさせてくれる類の情報を自らシャットアウトし、その逆に見る必要がない、いたずらに心を傷つけて終わる情報を積極的に見に行くということをしてしまいがちだ。

本稿では見る勇気と見ない勇気に分類して違いや重要性を考察したい。

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見る勇気

本音では目を覆いたいが、現実を直視することで人生が開かれることはよくある。その時に必要なのが「見る勇気」である。

たとえば自分が追求してきたビジネスプロフェッショナルの夢が、AIや国際競争の台頭などで未来の市場の存在が危ぶまれると感じた場合、勇気を持ってその現実に向き合って磨くべきビジネススキルの変更を余儀なくされるかもしれない。

筆者の場合はまさにこれを経験済で、サラリーマンの世界でビジネスプロフェッショナルになることを目指して、土日に資格取得するスクールなどにも通って巨費を投じた。だが「この先に自分の求める未来はない」と感じて思い切って独立へ舵切りをした。自分がずっと追い続けた夢を捨てるのは非常に辛いが、後から考えて思い切って変更してよかったと思っている。

自分の人生の方向性を決めてしまうような局面では、瞬間的に心が痛いと感じることでも現実を見る勇気が必要である。

見ない勇気

一方で、すべての情報に目を向けることが常に良いわけではない。特にインターネットやSNSが普及した現代では、ただただ不安や怒りを煽られ心が傷つく情報や間違った方向へミスリードするような情報で溢れている。これらの情報に振り回されることなく、自分にとって不必要なものは避ける「見ない勇気」もまた、精神的な健康を保つ上で重要である。

例えば、ネガティブなニュースやSNS上の攻撃的なコメントは、見ることでストレスを感じることが少なくない。悲劇的なシーンをエンドレスリピートして、いかに世の中が恐ろしくて悲劇的か?という負の情報を脳内に刷り込む活動に一切のメリットはない。そんなニュースを追いかけるより、きれいな花や空を見て心が癒やされる方がよほどいい時間の使い方だろう。

他の事例としては悪口や批判である。名前が知られるようになれば必ずといっていいほど、自分を批判する声が出てくる。だが気になっても積極的に自分の悪口を検索する「エゴサーチ」なども勧められない。明らかに法的なラインを超えているブランディングを揺るがすような事実無根の悪評や誹謗中傷は別途、訴訟などの措置が必要な場合もあるかもしれないが、軽い悪口にいちいちそこまでできない。悪口を自ら探しに行って心を傷つけることに論理的メリットはなにもない。だったら何もしないほうがいい。

最後に他人と比較して嫉妬の炎に火をつけることの愚かさである。これほど無意味極まりないものはなかなかない。世の中は承認欲求の飢えと怨嗟の声で溢れている。堂々と自慢しているケースばかりではなく、一見自虐風に見せて本音では自慢したいオーラに溢れているものもありなかなか見極めが厄介だ。

いずれにせよ、世の中には自分よりはるかに恵まれた環境や才能に溢れた事例を数多く見てしまうと、どうしても自信が引っ込んでしまう。なら最初から他人との比較なんてしない方がいい。一部のプロアスリートやビジネスプロフェッショナルは別かもしれないが、ほとんどの人は他人と競争して勝つよりまずは自分自身との勝負に勝つだけで十分である。だからキョロキョロと自分より優れた他人を見よういとしない、積極的に興味を持たないようにすることには価値がある。

「見る勇気」と「見ない勇気」の間には、微妙なバランスが存在する。重要なのは、自分にとって何が必要で、何が不必要かを理解し、その上で適切な判断を下すことだ。多くの場合、見なくていいものを見ようとして、見ないといけないことから目を背けてしまうが、その逆をやれば人生は開かれていくのではないだろうか。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。