以前は当たり前のようにやっていた年初の年賀状のやり取りは、最近かなり少なくなりました。
私も誠に勝手ながら、10年ほど前から年賀状でのご挨拶は失礼させていただいています。頂く年賀状も仕事関係で取引先から送られてくるものがほとんどです。
ここまでやり取りが少なくなっても、未だに律儀に年賀状を書いて送ってくれる方もいます。その心遣いが一層身にしみるようになることもあります。ただ、そのような気持ちになるのは、手書きで丁寧に作成したものの場合です。
手書きでもなく、両面プリントアウトしただけの無機質な年賀状は、むしろ逆効果だと感じることもあります。
今年の年初に届いた年賀状の一枚は、印刷された定型的な挨拶に、住所がプリントされただけのものでした。しかも、8年前まで住んでいた目黒から転送されてきました。
差出人を見ると、10年以上ご無沙汰している方です。年賀状の送付リストをアップデートすることもなく、機械的に作業しているのでは無いかと勘ぐってしまいました。
私のように年賀状を送ることすらしない者には、語る資格は無いのかもしれませんが、敢えて送る必要はないと思ってしまいます。
年賀状だけではなく、BCCメールで新年の挨拶を一斉送信してくる人もいます。
今年もパーティーで名刺交換した経営者の方から一斉配信の挨拶メールが届きました。一度お会いしただけの、失礼ながら顔も覚えていない方です。
ご自身の昨年の活動の紹介と、今年の仕事の告知が長文で書かれていましたが、あまりセンスの良いやり方とは思いませんでした。
挨拶というのは、形式よりも言葉の中にどれだけ受け取る側の気持ちを慮っているかが大切だと感じます。受け手を想定しない、独りよがりなコミュニケーションになってはいけません。
と偉そうに書きましたが、私もよくやりがちな失敗で、人のことを言える立場にはありません。他山の石としたいと思います。
編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2024年1月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。