政府は決して自発的に権力を手放さない

こんにちは。自由主義研究所の藤丸です。

皆さんは、日本国憲法第二十九条をご存知でしょうか?

二十九条は「財産権」について書かれています。

第二十九条〔財産権〕
1,財産権は、これを侵してはならない。
2,財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3,私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

今回の記事は、財産権に関連して「私有財産」と政府について、アメリカの自由主義系のシンクタンク「ミーゼス研究所」のHPの掲載の論文を一部抜粋し、要約・意訳して紹介します。

「Governments Never Give Up Power Voluntarily(政府は決して自発的に権力を手放さない)」というルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『リベラリズム』からの抜粋記事です。

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス

※太字や(※)注は、筆者です。
※以下から元の論文の全文が読めます。

Governments Never Give Up Power Voluntarily

Governments Never Give Up Power Voluntarily
(政府は決して自発的に権力を手放さない)

政治権力の座にあるすべての人々、すべての政府、すべての王、そしてすべての共和制権力者は、常に私有財産に懐疑的な目を向けてきました。

すべての政府権力には、政府自身の活動への制限を認めず、その支配領域を可能な限り拡大しようとする傾向が内在しています。

「すべてを支配し、権力者の干渉なしに自発的に何かが起こる余地を与えないこと!」

これがあらゆる支配者が密かに目指す目標です。

「私有財産さえなければ…!」と権力者は思います。

私有財産は個人に、【国家から自由な領域】を作り出すからです。

私有財産は、権威主義的な意志の働きに制限を与えます。

私有財産は、政治権力と並存し、それに対抗する他の勢力の発生を可能にします。こうして、私有財産は、国家による暴力的な干渉を受けないあらゆる活動の基礎となります。

私有財産は自由の種が育まれる土壌であり、個人の自律性、ひいてはあらゆる知的・物質的進歩が根付く土壌なのです。

この意味で、私有財産は個人の発展のための基本的前提条件とさえ呼ばれてきました。

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政府は、そうせざるを得ないときには私有財産を容認します。しかし、私有財産制の必要性を認識して自発的に私有財産を認めることはありません。

リベラル派の政治家でさえ、権力を得ると、リベラル派の原則を多かれ少なかれ後ろへと追いやるのが常なのです。

私有財産に抑圧的な束縛を課し、政治権力を乱用し、【国家の支配の外にある自由な領域】を尊重することを嫌がる傾向は、政府機構を支配する人々の精神にとても深く根付いています。

そのため、政府機構を支配する人々が自発的にそれに抵抗することはできません。リベラルな政府とは形容詞の矛盾なのです。

国民の一致した意見の力によって、政府に対して自由主義を強制的に採用させなければなりません。政府が自発的に自由主義的になるということは期待できないのです。

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私有財産を否定する人々が、認めようとしなかったことがあります。

それは、生産手段の自由な私有制度へと社会が回帰する理由は、人間の生活の必要性と目的に奉仕する経済制度が、原理的に私有財産という基盤の上でしか実行不可能だということです。

記事の紹介は以上です。

私有財産、財産権について、日頃から考える機会は少ないかもしれませんが、個人の自由を守るうえでとても重要なことだと思います。


編集部より:この記事は自由主義研究所のnote 2024年8月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は自由主義研究所のnoteをご覧ください。