遠くなったのか?ノーベル賞:研究に適さない日本の教育環境

ノーベル賞ウィークに入っていますが日本人に期待がかかった物理、化学、生理学・医学、文学賞は今年も残念な結果になりました。この後、平和賞と経済学賞がありますが、平和賞は極めて政治的な判断です。また、経済学賞はアルフレッド ノーベル氏が提唱したものではなく、賞金もノーベル財団から出るのではなく、スェーデン国立銀行から出ています。授賞式は他のノーベル賞と一緒に行われますが、亜流なのでしょうか?もっとも、その経済学賞は日本は一度も取っていませんが。

ノーベル賞公式HPより

ちょうど1年前のこのブログでノーベル賞についてこんなつぶやきをしています。「ノーベル賞ウィークでしたが、吉報はもたらされませんでした。事前の予想リストには若干名の日本人の名前もありましたが今じゃない感じでした。数年のうちにはまた1つ2つぐらい頂けると思いますが、研究予算が少なすぎて日本のノーベル賞受賞の可能性は下がってくるのは必至でしょう。文学賞ですが、個人的には村上春樹氏がとれるとは思わないです。彼の作品はだいぶ読んでいますが、90年代のテイストで止まっていて一部のファン層好みから脱却できていないと思います。だけど書物の読み手が減ったからか、新たな作家も育っていないですよね。残念です」と。

日本にとってノーベル賞は遠くなったのでしょうか?

そうかもしれません。日本でノーベル賞受賞ラッシュだったのは2008年で2010年代前半がピークでした。その後、毎年1名程度は受賞していましたが、21年に真鍋博士が物理学賞を受賞したのが最後です。ただその真鍋博士は日系人となり、アメリカ プリンストン大学の研究員です。日本人はもうノーベル賞は取れないのか、言われてもそれは私にはわかりませんが、かつてのような勢いを失っていることは確かでしょう。

理由の一つに教育環境があると思います。ノーベル賞選考には受賞研究者が10年以上前に発表した論文がベースになることが往々にしてあります。日本の場合、特に基礎研究に強みがありますので花が咲くまでに時間がかかり、10数年というスパンは現実的だと思います。しかも研究発表そのものは長年の研究の積み上げでありますから論文よりはるか前からその研究をしていたことになります。とすれば2010年の20年前、つまり1990年頃に研究していたものが主ということになり、バブル崩壊が時間軸としては重なってきます。

カネが研究成果に影響するのでしょうか?残念ながらYESだと思います。

例えばオリンピックでアメリカが長年一番金メダルを取っている理由のひとつは近代的で最新鋭の人間工学に基づいたトレーニングマシーンや訓練方法を導入していることはあるでしょう。大学駅伝チームでも金がある大学とない大学では練習量や監督の能力以外にその設備がモノを言います。同様に学究も金があるかないかは大きな成果の違いとして出てきます。

一時、日本の学者が中国に三顧の礼で迎えられ、日本の大学の何倍もの研究費をもらえ、ようやく研究ができた、と喜びの声を上げる先生方が多かったのを覚えていらっしゃいますか?同様にノーベル賞を受賞した学者の中にはアメリカ在住の真鍋先生や中村修二先生の名前が上がります。なぜ学者は日本を出たのかですが、私が見聞きする限り「白い巨塔」「ドクターX」状態が医学部に限らず、学部全般に今でも続いていることがあるかもしれません。

私ごとき素人がこのブログで意見するだけで様々な反論や異見が出ます。とすれば学者レベルになるとその度合いは過激だろうと想像できるでしょう。事実過激です。私もそれはちらっと見ています。私がこの10数年で接点を持った日本の学者先生は多くが派閥的なグルーピングをしています。学閥とまではいかないのですが、同じような考えを持つ先生方が集まり自説を研磨する傾向は強く出ます。これが大学教授会になると俄然燃えるのです。自分と同じ思想を持つ先生に教授になってもらわねば自分が干される可能性すらあるのです。特にその傾向が強いのが国立大学系だと思います。

そのような争いから離れ、研究に専念したいという方はどうしても日本を離れやすい傾向が生まれるのでしょう。私だってこのブログの日本語版を止めて英語版にして海外発信した方が楽かもしれません。ただ、私は研究者ではなく、日本の皆様に海外に住む個人の一考え方を披露しているだけであり、損得勘定がなく、ビジネスでもないのでそうしていないだけです。

では学者に研究費をもっと出せないのか、という点はどうでしょうか?アメリカの大学の基金の規模が尋常ではない、これが差になっています。文科省の資料によるとハーバード、イェール大学あたりで4.5-3.3兆円レベル、それに対して東大で190億円、日本で最大が慶応の870億円規模です。(2020年実績で東大は現在ではだいぶ増えているはずです。)基金というのはこれを原資にして運用し、その運用益を主体に研究開発、大学施設の増強を行います。つまり基金の原資は原則減らないようになっています。そのうえ、毎年どんどん寄付金が入り、原資は膨れる一方なのです。この資金力の差は残念ながら何ともしがたいのであります。

アメリカは大金持ちが多いと言われますが、彼らの大半は何らかの社会貢献を行っており、出身大学への寄付金もとてつもないレベルで行う人もいます。ずいぶん前ですが、私がバンクーバーでクライアントと食事していた際、そこにその父親がたまたま来て「おい、お前もここで飯を食っているのか?俺は今日、出身大学に5億円寄付してきたぞ。〇〇が1億円寄付したって自慢げに言っているからその5倍出したよ、ははは」。あのシーンは一生忘れません。

教育でもスポーツでも金がかかります。これは残念ながら否定しずらい事実です。日本が花咲くにはどうにかして退蔵されているマネーを活性化し、こういう形で投資していかねばならないと思います。そして教育の側面支援を磨き直さないと日本からノーベル賞がいよいよ遠ざかることになるかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年10月11日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。