苦難から生まれる「善」のために祈ろう

ポーランドのローマ・カトリック教会のイェジ・ポピェウシュコ神父の名前をご存じだろうか。同神父は1984年10月19日、共産主義政権の秘密警察によって拉致され、殺害された。あれから今月で40年が過ぎた。

40年前に殉教したポーランド教会のポピェウシュコ神父(バチカンニュース独語版2024年10月20日から)

ポーランドでは先週末、国民的英雄のポピェウシュコ神父の追悼が行われた。アンジェイ・ドゥダ大統領とヴワディスワフ・コシニャク=カミシュ副首相は、ワルシャワにあるポピェウシュコ神父の墓に花輪を捧げた。ポピェウシュコ神父が務めていたゾリボジュ地区の教区教会で行われたミサで、ドゥダ大統領は「ポピェウシュコ神父や彼の世代の他の人々の努力のおかげで、今日のポーランドは自由な国となった」と述べ、共産主義時代に自由のために勇敢かつ決然と立ち向かった神父に感謝した。

バチカンニュースは「19日には数千人が、ポピェウシュコ神父が働いていた教会までの追悼行進に参加した。その教会の庭には彼の墓がある。行進には、国民保守派の野党である『法と正義(PiS)』党の指導者ヤロスワフ・カチンスキ氏も加わり、参加者の多くは白と赤のポーランド国旗を掲げていた」と報じた。

ワルシャワのカジミェシュ・ニッチ枢機卿は、説教の中でポピェウシュコ神父を「愛の福音の証人であり、人間の尊厳の擁護者」と呼び、かつて労働組合および自由運動「連帯」の教区司祭だった同神父の早期の聖人認定を祈るよう信徒に促している。

なお、国会下院(セイム)でも、ポピェウシュコ神父を追悼した。18日に採択された決議では、「神父は共産主義占領者の嘘を暴露し、その人権侵害を非難した」と述べられている。

ポピェウシュコ神父は説教で、当時禁止されていた「連帯」を支援し、ワルシャワの共産主義政権に対抗する運動を展開した。彼の「祖国のためのミサ」は月ごとに非常に注目を集め、1982年から亡くなるまでそれが続いた。

1984年10月19日、37歳の司祭がビドゴシュチ(ブロムベルク)でのミサからワルシャワへ車で戻ろうとしていたところ、ポーランド秘密警察のエージェントに拘束され、拉致された。数日後、彼の縛られた遺体がヴウォツワヴェク(レスラウ)近くのダム湖から発見された。

彼の殺害は、全国で政権に対するポーランド国民の抵抗を強め、5年後の共産主義崩壊の一因となった。ポピェウシュコの葬儀には50万人以上が参加した。政権は国民の不満を抑えるため、1985年にこの殺人に関与した秘密警察の3人の職員に重刑を課したが、首謀者は処罰されることはなかった(バチカンニュース)。

1989年にポーランドが自由を取り戻すと、ヨハネ・パウロ2世はこの「連帯」運動の神父を、ポーランドのヨーロッパの守護聖人に任命した。2010年6月6日には、ベネディクト16世がワルシャワでポピェウシュコ神父を列福した。

ヨハネ・パウロ2世は1984年10月31日の一般謁見で、「キリスト者は、キリストにあって勝利するように召されている。この勝利は苦難と結びついており、キリストの復活が十字架と不可分であるように、彼の死もまた勝利を意味する。私はポピェウシュコ神父のために、そしてこの死から生まれる善のために祈ります。それは、十字架から復活が生まれるのと同じです」と述べている。同2世はまた、1990年の一般謁見の場で、「精神的に自由であり続けるためには、真理に生きる必要がある。真理に生きることは、それを証しし、常に記憶し続けることだ」と語っている。

世界が民主諸国と共産圏に分断されていた冷戦時代、ポーランドのポピェウシュコ神父の他に、1960年代から80年代にかけてルーマニア全土を掌握していたチャウシェスク大統領の独裁政権崩壊へ最初の一撃を加えたトランシルバニア地方の改革派キリスト教会のラスロ・テケシュ牧師、そしてソ連・東欧共産圏で世界初の「無神論国家宣言」を表明したアルバニアのホッジャ政権下で25年間、収容所に監禁されていたローマ・カトリック教会のゼフ・プルミー神父の名前がどうしても思い出される。共産主義社会で「信教の自由」のために献身的に歩んだ聖職者だ。

当方がアルバニアの首都ティラナでプルミー神父と会見した時、同神父は、「わが国の民主化は宗教の自由を求めることから始まった。シュコダルで初めて正式に礼拝が行われた時、警察当局はもはや武力で礼拝を中止できなくなっていた。ティラナで学生たちの民主化運動が本格的に開始する前に、神について自由に語る権利を要求する運動が始まっていた。当時の共産政権指導者は恐れを感じていた」と話してくれた。

ルーマニアではマジャール系(ハンガリー人)の牧師が主導する少数民族への弾圧政策に抗議する運動が改革の起爆剤となったが、その中心的人物はテケシュ牧師だった。国民から「12月革命の英雄」と称えられた。秘密警察が全土を支配する中、命の危険を顧みずに立ち上がり、民主化の起爆剤となった。ハンガリーのブタペストで会見した時、同牧師に「あなたの原動力は何か」と質問すると、「キリスト者としての信仰と、不義な者から逃避してはならないという確信があった。多くの国民も、人間として自由でありたいという願いは、生命を失うかもしれないという恐れより強かった」と語ってくれた。

冷戦時代を生き、使命を担い、走りきった3人の聖職者は神の証人だ。彼らのことを想起する時、「(彼らの)苦難から生まれた『善』のために祈ろう」と述べたヨハネ・パウロ2世の言葉が生き生きと蘇ってくる。苦難、試練から生まれてきた「善」は私たちの本心に語り掛ける力を持っている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年10月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。