「昔の日本は良かったオジサン」に関わってはいけない

黒坂岳央です。

リアルでもネットでも昭和世代は「昔の日本は良かった。それに引き換え今は…」という話をしがちだ。SNSでもちょくちょく見かける。

法の範囲なら何を言おうが個人の自由だが、この手の話に耳を貸すと人生のマイナスになることが非常に多いので気をつけるべきだと思っている。現代社会が最高、などとは思わないが昔に比べれば遥かに良いと思っている。

個人的見解を話したい。

kimberrywood/iStock

世界も日本も確実に良くなっている

物騒な事件やニュースが世間を騒がせるたびに「世界はドンドン悪くなっており、着実に滅亡へと近づいている」という感覚がしてしまいがちだ。しかし、それは有名な書籍「ファクトフルネス」で統計データ的に否定されている。世界は豊かに、そして平和になっている。

昨今、生きづらさを訴える声や多様性、LGBTについての意見が多く見られるが、これこそが自由に意見を出すことが許され、社会的地位や立場に言及するくらい生活や環境に余裕のある社会を生きている証拠である。

我が国についても昨今、凶悪犯罪についてまるで「この世の終わり」かのように騒がれている。本当だろうか?

警察庁の発表によると、刑法犯罪は2002年の285万4000件がピーク、2021年はパンデミック後ということもあり56万8000件。なんと19年連続で減少していた。確かに直近、2年間で前年より増加し、昨年2023年は約70万3000件となっている。

しかし、それでも20年前の「4分の1以下」であり、外国人インバウンド顧客の急増にも関わらず、我が国は依然として高い治安を維持出来ていると考えるべきだろう。治安を維持する警察関係者には足を向けて寝ることはできない。

もちろん、犯罪は憎むべき行為であり、今後も1件でも減らすための努力を否定するつもりはない。だが、冷静に数字ベースで考えると「日本が唯一誇っていた治安が今は地に落ちた」と大騒ぎするほど凶悪化したのか?と問われると、また違った感覚になるだろう。

昔の日本は本当に良かったのか?

「昔はよかったオジサン」は終身雇用、結婚率の高さ、所得などを引き合いに出して、今はダメで昔は良かったと主張する事が多い。すでに犯罪についていえば平和になった事実を取り上げたので、他の要素も考えたい。

まず終身雇用についていえば、確かにこの制度自体は崩壊してしまったと言える。だが、本当に制度自体良かったのかを今一度評価する必要がある。

終身雇用が常識の社会というのは、裏を返せば極めて労働流動性が低いということである。つまり、「就職」は実質「就社」であり、新卒後の会社に人生の生殺与奪を預けるという意味合いが強くなる。

そうなると転職は独立は今ほど気軽に出来ず、勤務先で嫌われたり出世の道が閉ざされてしまえば、そのままその後の人生の生き方も決定づけられてしまう。これは少なくとも能力の高い人や、集団行動では能力を発揮しづらい人材には地獄のような制度だ。勤務先のたった一度のつまづきで、一生が決定してしまう社会は、挑戦はご法度、上司からの指示に愚直に従うのが最適解だからだ。

実際、かつての日本は工業製品を輸出することで稼ぐ加工貿易立国であり、大規模工場に大量の社員が出社し、同じ時間、同じように働くワークスタイルだった。そこで必要とされるのはクリエイティビティに優れた人材というより、上司からの指示に愚直に従い、長時間労働する人材だった。

現在のように様々な選択肢がある社会の方が、労働者側に魅力的ではないだろうか。

みんな結婚する社会

また、誰もが結婚をする社会というのは、本当に健全であったかは疑わしい。筆者は結婚分野について完全に門外漢であるため、下記の論拠は世間でよく見る専門家の意見を借りることにしたい。

現在起きている現象の理由の一つに、独身男性の所得が低いため、婚活の土俵に立つことができないことで未婚率が高まったという主張がある。この仮説が正しいとするなら、分厚い中間層が消えて急速に貧富の格差が広がっている現状の日本経済と辻褄が合う。このような「結婚をしたいが経済力不足でできない」という状況は明確に是正の必要があり、その手段として収益率の高いイノベーション企業が数多く生まれる社会を望むべきだろう。

しかし、この状況を踏まえても「昔、多くの人が結婚をしていたのは独身男性が豊かだったから」とは言い切れない。「かつては女性は生きていくために結婚せざるを得ない社会だった」という評価をする専門家もいる。

見方によっては昔、女性にとっての結婚は半ば「就職」に近い性質を持っており、経済力を夫が完全に握っていたということになる。望まぬ結婚も多くあったと考えるなら、女性が独力で稼いで自己実現できる今の社会の方が健全であるのではないだろうか。

「昔は良かった話」は害悪でしかない

その他、公共衛生やマナー、労働環境など言い出したらきりがないほど多くの点で現代は良くなった。以上のことから、昔は良かったオジサンの主張はことごとくズレているということになる。

ここからが本題だが、昔は良かったオジサンの話を聞くことの問題は、間違った歴史認識を植え付けられてしまうことで、「現代社会は悪であり、自分は前世代の被害者」という良くない認識を与えられてしまうことだ。

昔に比べて遥かに暮らしやすく、働きやすくなった現代が昔より悪いと聞かされて誤解すると、社会やそれを作り出した上の世代に対する増悪が育つことになる。端的にいえば現代日本を生きる自分は不幸な被害者というマインドコントロールになるのだ。

実際、そうした認識を持っている若者から直接話を聞く機会があり、「自分は生まれた時から良い日本を全く知らない。景気の良い時代に生まれたかった」と言われたこともある。

だが、そうした若者を平成初期にタイムスリップさせれば、あまりの住みづらさにたまらずすぐに逃げ出すのは間違いない。ワークライフバランスやリモートワークなど存在せず、パワハラ、セクハラも珍しくなく、景況感も最悪で犯罪も今の4倍だ。就職も転職も難易度はケタ違いに高く、大学受験も現代とは比較にならない難しさ、競争率である。人々のマナーも今より悪かった。自分は当時の世紀末のような雰囲気をよく覚えており、あの世界には二度と戻りたくないと思う。

結局、人間は今にしか生きられないし、未来を変えることしかできない。過去は良かった、という間違った話を聞いても何の糧にもならないばかりか、かえって恵まれた現状を不満に感じる良くない心情を作り出すだけだ。昭和世代はこれ以上、若い世代がたくましく、強く明るく生きるための気概をくじくべきではない。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。