ビットコインと金(ゴールド)は輝くのか、と言われれば即答します。輝きます。
ただ誤解を避けるために一言だけ言い訳をしますが、「輝く」のが今日なのか1年後なのか、10年後なのか、それはわかりません、ただ、資産としての意味合いは十分に存在することになると考えています。
フィナンシャルタイムズに「仮想通貨の『空気』と深謀」という記事があり、その書き出しは「過去のことは忘れて、新しく、より輝かしい未来を想像しよう。そしてビットコインを買おう――。こうした論調は、筆者のような普通の人には受け入れがたい。暗号資産(仮想通貨)のビットコインはまだ日常的に使用できる通貨ではない。世界の大半の地域で、コーヒーの購入や税金の支払いにビットコインは使えない。利回りや配当を生むわけでもなく、ビットコインそのもの以外の価値をもたらさない。ビットコインを取り巻くエコシステム(生態系)には健全で良識的な人々も散見するが、ビットコインを超えて小規模なトークンやコインを含めた広大な暗号資産の世界を支配しているのは、変人や詐欺師たちだ」と。
では私のこの筆者への反論です。人間社会はなぜ、長く金の延べ棒に高い価値を見出したのでしょうか?金のかけらで食事も買い物もできません。それは政府通貨のように流通し利便性が備わっていないからです。それでも世界の中央銀行は金の延べ棒をせっせと買い込み、最近では新興国による金の購入も目立ちます。なぜでしょうか?
政府通貨は国家がその支払いを保証しているからです。確かに国家が崩壊するのは地球に巨大隕石がぶつかるぐらい低いリスクかもしれません。しかし、極端な言い方をすれば疑似マネーの国家版であり、海外諸国が「この通貨は我々の通貨と比べればこれぐらいの交換比率なら妥当だ」という市場性で成り立っているだけなのです。つまり利便性と第三者評価。これが肝です。
では金利。多くの方は「金には金利がつかないじゃないか?」と言います。では私が聞き返します。「皆さんは普通預金にお金を預けていないのですか?」と。日本では金利が上がったといっても普通預金金利は0.02%です。100万円で年200円。振込手数料にもならないのに金利がつかないということを声高に主張されても困ります。ましてやタンス預金はなおさらであります。
「わかった、お前は金には価値があると言いたいのだな、そこまでは妥協しよう、しかし、ビットコインはいかんぞよ、あれは海のものとも山のものともつかないじゃないか」と。
私の答えはこうです。金はモノなのです。女性が大好きな18Kのネックレスとか金細工が施された腕時計、更にはメープルリーフ金貨といった「金銀財宝」は所有欲を搔き立てます。ところがビットコインは抱きかかえて寝るわけにはいきません。「持っているような、持っていないような」ですが、私は製造業とサービス業の違いぐらいに捉えています。製品としての金、サービスとしての仮想通貨です。それこそ電車に乗れるパス、飲食店利用券、遊園地の乗り放題パスといったものと同じです。パスは首から下げるじゃないか、と言わないでください。我々が飛行機に乗るときは今や搭乗券なんてなくてスマホのQRコードを読み取りですよね。
ではお前はなぜ、仮想通貨や金が今後も輝くと思うのか、と聞かれるでしょう。私の答えはこうです。
「お金を投資したくなる器が無くなった、だから人工的に作り出す必要があるのだ」と。思い出してください。アメリカのFRB議長だったベン バーナンキ氏はヘリコプターマネーを推奨しました。中央銀行はお金を刷りまくれ、と。もちろん、これは世の中の経済の潤滑油としての意味でした。しかし、これで大きく潤った人と引き続きかつかつの人が生まれたのです。これが1%と99%の根本問題のひとつ。私がマネタリストの経済学の時代はもう終焉していると何度も申し上げたのはその副作用をずっと無視したからです。
では金持ちになった機関投資家、ファンド、金融機関、個人投資家などはそのお金をどうしたのか、といえば儲かりそうなところに投資をしたのです。その行先はおおむね株式投資です。上場株や投資信託が最も簡単。孫正義氏やGAFAMは非上場のインキュベーション企業を必死に探しました。オープンAI社などはその最たる対象でした。一方、オールドスタイル投資家の第一人者であるウォレン バフェット氏率いるバークシャー社はここ数年、めぼしい投資先が見つからず、手元現金が50兆円に達しています。
これなども簡単に説明できるのです。バフェット氏がいう「魅力ある妥当な株価の企業」がないため、お金を持っていくところがないのです。
一方、多くの先進の投資家やファンド、一部の公的基金の運用者は「しょうがないな、ポートフォリオを見直そうじゃないか」という動きになっているのです。そしてその一つが仮想通貨であります。理由はゆっくりとながらも資産としてのお墨付きが得られてきたからです。投資基盤さえ整えばプロは多少のリスクを冒しても資金を振り向けます。そりゃそうです。ファンドマネージャーはリスクと背中合わせの毎日ですからリスクが読めれば投資環境が整ってきているとも言えるのです。
エルサルバドルは2021年にビットコインを米ドルと並び法定通貨の一つにした国です。現状、その利用者は国民の7-8%程度にすぎません。理由は国民の多くがわからないから、そして両替機が十分普及していないことがあるでしょう。しかし、ビットコインの金額がこれだけ高騰してくると「使ってみよう」という気は起るかもしれません。つまり通貨としての啓蒙期間が必要なのです。それはたぶん2-3世代かかる気の長い話だと思います。
トランプ氏が仮想通貨に入れ込んでいます。私はトランプ氏は富豪である一方、資金の出も大きく、その資産を常に増やさねばならないのだとみています。そこで仮想通貨を社会の中で標準化させ、投資環境を整えることで投資家の余剰資金の受け皿にする、という発想ではないかとみています。
私はビットコインは10万ドルに行くかもしれないと申し上げました。まだ6万ドル台の時です。今、9万8千ドルぐらいまで来ています。金と仮想通貨の最大のシークレットは相場の妥当性がないことです。
かつてチューリップバブルがありました。あれはチューリップに対する市場での価値観があったからこそ崩壊したのです。不動産だって一般人が誰も絶対に買えない金額になればそれはバブルです。しかし、金や仮想通貨は何をもって高いとか安いというのか、その基準すらないのです。それを使い直接的にモノが買えないところに価値としての妥当な判断がないとも言えないでしょうか?もちろん、価値の妥当性がないということは価値の下支えもないということです。そう、ふわふわ浮いているようなものです。ただし、金もビットコインも採掘限界があることだけは夢を追う人による下支えといってもよいのでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年11月22日の記事より転載させていただきました。