驚いた。多分、多くの人々も驚いただろう。韓国の尹錫悦大統領が3日、突然、戒厳令を発令したのだ。1980年以来という。戒厳令時代の韓国を知らない世代にとって、民主国家・韓国で戒厳令が発令されるとは想像だにできなかったはずだ。オーストリア国営放送(ORF)の夜7時半のプレミアのニュース番組「ツァイト・イン・ビルド」では最初のニュースは韓国の政変についてだった。番組にはウィーンに帰国中の同放送の北京特派員が登場して、事の進展について解説していた。
ドイツの高級誌「ツァイト」電子版(現地時間3日夜)では、尹大統領が北朝鮮からの軍事的脅威が高まっているという理由から戒厳令を発令したと説明していた。その6時間後、国会で戒厳令撤回決議案が採択されたことを受け、尹大統領は戒厳令を撤回せざるを得なくなった。韓国憲法では、国会が過半数の同意で戒厳令の解除を要求した場合、大統領はこれに従わなければならないと定められているからだ。
韓国の「6時間の戒厳令」について、尹大統領が説明していたように、北からの軍事的脅威が差し迫っていたのかもしれない。ただし、尹大統領自身は具体的にどのような軍事的脅威かについては何も説明していないので、推測する以外にない。ロシアからの軍事支援を受けた金正恩総書記が「今こそ韓国に軍事侵攻すべき時だ」と判断したとしても不思議ではない。問題は、北側の軍事的脅威が事実とすれば、尹大統領は国会の戒厳令撤回決議の採択を受けたとしても戒厳令を撤回することはなかったのではないか。そのうえ、駐韓米軍の動向にも大きな動きが伝わってこないのも不思議だった。
とすれば、尹大統領の戒厳令発令とその撤回劇は対北朝鮮政策に基づくのではなく、韓国国内の問題が大きかったのではないか、という推測がより現実味を帯びてくる。支持率が低下し、与党内でも尹大統領の政治に批判的な議員が出てきている。韓国メディアによると、「尹大統領は孤立していた」というのだ。特に最近、大統領の妻(金建希夫人)に関する汚職疑惑が浮上し、支持率が更に低下していた。そこで北朝鮮の脅威を理由に挙げ、国内の政治的圧力をかわすために戒厳令を発令するという方向に流れたのかもしれない。
「ツァイト」誌オンラインは4日、韓国の「6時間の政変」についてかなり長文の解説記事を発信している。事の始めは野党との国家予算を巡る争いだった。保守系与党「国民の力(PPP)」と最大野党「共に民主党(DP)」の間で翌年の予算案を巡る対立が激化していた。野党議員らは、予算案を審議する国会委員会で、政府案を大幅に削減した簡素化された予算案のみを承認した。尹大統領はその後、戒厳令を布告したのだ。尹大統領は戒厳令を布告する劇的な措置について「国家の敵対勢力からの保護」と説明している。それについて、「ツァイト」誌は「この行動は尹大統領自身の権力維持にも役立つものだったと思われる。一体、彼は何を語ったのか?また、北朝鮮とどう関係があるのか」等々の8つの質問を箇条書きに提示している。
尹大統領は、テレビ局YTNで事前告知のない演説を行い、「野党が北朝鮮に同調し、国家を敵対的活動によって麻痺させている」と非難し、「北朝鮮の共産主義勢力の脅威から国を守り、憎むべき親北反国家勢力を一掃するために戒厳令を布告する」と述べ、「自由と憲法秩序を守るためにこの措置を取らざるを得なかった」と主張している。
同大統領は国会を「犯罪者の避難所」と呼び、司法・行政制度を麻痺させて自由民主主義秩序を転覆しようとする「立法独裁の温床」と非難。野党が国家の主要業務に必要な予算を削減し、「公共の安全が混乱状態に陥っている」と指摘している。また、「野党は閣僚やその他の高官に対する弾劾案を提出することで、政府運営を妨害している。2022年5月の就任以来、国会は22件の弾劾案を提出しており、これは世界的にも前例のないことだ」と述べている。
戒厳令布告後、首都ソウルの国会議事堂は封鎖され、ヘリコプターが議事堂の屋根に着陸する様子がテレビで放映された。また、戒厳令司令部の司令官パク・アンス氏は、すべての政治活動を禁止し、メディアを政府が監視すると発表。「国会や地方議会、政党や政治団体の活動、集会やデモを含むすべての政治活動は厳しく禁止される」と述べ、メディアと出版物も戒厳令司令部の管理下に置かれるとした。しかし、その数時間後、国会は全会一致で戒厳令の撤回を要求。尹大統領はこれを受け、テレビで戒厳令を解除すると表明。「国会の要請に応じて、閣議で戒厳令を解除する」と述べると、集まった抗議者たちはこの発表に歓喜した。以上、6時間の戒厳令の経緯だ(ロイター、AFP、DPA、APなどの外電をまとめた)。
野党DPを率いる李在明氏は、尹大統領の行動を憲法違反と非難。国民に戒厳令反対の戦いへの参加を呼びかけた。一方、与党PPPのハン・ドンフン党首も、大統領の決定を「誤り」と批判し、阻止する意向を表明していた。野党が過半数を占める国会は全会一致で戒厳令の撤回を求めた。戒厳令解除後、尹大統領は国内で大きな政治的圧力を受けている。最大野党DPは大統領の即時辞任を要求。辞任しない場合、弾劾手続きを直ちに開始すると発表したのだ。
今回の事態に北朝鮮が関与した証拠はない。しかし、朝鮮半島の情勢は緊迫している。韓国は1950年に始まった朝鮮戦争以来、いまだに「戦時下」にある。1953年に停戦協定が結ばれたものの、平和条約は締結されていない。2022年のロシアによるウクライナ侵攻が影響を与え、朝鮮半島の緊張は再度高まっている。北朝鮮はロシアとの関係を強化し、ロシアに軍事的な支援を提供している。北朝鮮側は最近、韓国を憲法上「敵対国家」と明記し、軍事的対決への準備を強化する方針を打ち出している。なお、米国は「法の支配に基づいた解決」を求め、戒厳令の解除を歓迎している。
韓国の「6時間の戒厳令」は、親北勢力が牛耳っている国会での審議妨害に激怒した尹大統領の勇み足といった印象を受ける。親北勢力は尹大統領の勇み足をここぞとばかり利用して大統領弾劾へ突き進むだろう。尹大統領が弾劾された場合、朴槿恵大統領に次いで保守派大統領が2代続けて野党勢力によって弾劾されるという不名誉な結果となる。
いずれにしても、核武装化し、軍事侵略を狙う北朝鮮の脅威を矮小化する韓国内の親北勢力は危険な存在だ。韓国の「6時間の戒厳令」の核心は本来、国会での単なる野党対策ではないはずだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。