秋田県佐竹知事「クマを送るから住所を送れ」:クマ駆除の「被害者」からの攻撃が酷い

クマ駆除の「被害者」からの攻撃が酷い

秋田県佐竹知事「私が電話受けたら『(クマを)送るから住所を送れ』と言う」

archive.md

秋田県の佐竹敬久知事は12月17日の秋田県議会予算特別委員会の総括審査で、「もし私が電話を受けたら完全に相手を威嚇します。『お前の所にいま送るから住所を送れ』と言う」「そんなに心配だったらお宅に送ります」「話して分からない人にあまりお付き合いする必要は無いと思う」と発言しました。自由民主党の高橋豪議員がクマ対応に関して悪質なクレーム電話が県に寄せられていることへの見解を求めた質疑に対する答弁でした。*1*2

秋田魁新報社のX投稿ではまるで直接相手に発言したかのようなタイトルですが、仮定的な場面を想定したものであり、また、実際の業務としてそのような発言をする事を奨励するものではないようです。これにはコミュニティノートの提案すらなく、X上のユーザーにとっては受け入れられている発言のようです。

「熊年」と言ってもいい今年の年の瀬に、秋田県知事が再度注目されることとなりました。仮定的なものとしても行政の長の発言としてどうなのか?という視点が出てくるものではあると思われますが、現実の脅威に対して均衡性のある批判なのかどうかは考慮されるべきのように感じます。

秋田県や北海道など全国で発生している熊駆除への誹謗中傷・クレーム問題

秋田県内では今年に入ってから多数の熊による被害が報告・報道されています。

鹿角市十和田大湯では、5月中旬、山に入った60代男性の捜索中だった秋田県警の警察官2人も負傷したという事件がありました。これを受けて、より防禦性能の高い防護装備が支給されているなど対策が講じられています。

最近では11月30日に、秋田県内のスーパーマーケットの「いとく」にクマが入り込んで2日間居座ったという事件がありました。この事件に関しては56件の問い合わせ等があり、4割が熊の殺処分に反対で、そのほとんどが県外からのものだったと17日に生活環境部長から答弁されています。

こうした中でデマや思い違いによる熊駆除事業者に対する誹謗中傷が行われており、【クマについてよくあるご意見・ご質問 | 美の国あきたネット】をみると、「秋田県はクマを絶滅させようとしているのですか」「ハンターが金儲けのためにクマを大量に駆除しているのではないですか」というQに対する回答が掲載されているように、現実にこうした「攻撃」が県行政に届いているようです。実際、Xで検索すると、同趣旨の内容の投稿をしている複数のアカウントが見つかります⇒例1 例2

北海道でも、熊駆除のために行政から要請を受けた猟友会が、その金額の余りの低さに要請に応じないとしたり、クマ駆除を依頼されて撃ったのにその際の行為が危険だったとして猟銃所持免許停止の処分を受けた者が不服申し立ての訴訟をしたものの札幌高裁が棄却するなど、社会的影響が大きい事件が相次いでいます。

他者への攻撃を正当化する甘えた心性「被害者文化」による独善的正義感

今年3月に発行された【「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」[ 林智裕 ]】では、冒頭に昨年のクマ被害の現状と、秋田県のクマ捕獲・駆除に対するクレーマーの事案が取り上げられています。

 2023年秋、北海道函館市内の大学生がクマに襲われ死亡した。被害者の学生は、2024年春から北海道大学大学院の国際食資源学院に進むことも決まっていたという。

この年は、日本全国で連日のようにクマによる人的被害が多発した。

10月17日には、秋田県大館市できのこ採りをしていた80歳の女性と会社の敷地内を歩いていた40代の男性が、クマに襲われて頭や背中などに怪我をし、同じ日には、富山県富山市で70代女性が自宅にいたところをクマに襲われ、命を落とした。翌18日には、福井県勝山市で農作業をしていた男性がクマに襲われ頭に怪我を負い、その翌日の19日には、秋田県北秋田市の市街地で、16歳の高校1年生の女子生徒と80代の女性3人が相次いでクマに襲われた。このうち83歳の女性は顔をひっかかれて負った傷からの出血が多く、腕や腰にも骨折をする大怪我を負った。*3

クマによる被害人数は、環境省が統計を取り始めた平成20年度調査以来で過去最悪となり、全国統計では2023年2月の暫定値時点で2022年度(75人)の2・9倍以上の218人、死亡例は2022年度の3倍となる6人に及んでいる。*4

こうした中、クマ駆除に対するクレーム、という言葉では足らないような誹謗中傷攻撃が行政に(当事者にも)相次いでいるという【二次被害】も発生し、社会問題となっています。本書では、その背景にある心性が指摘されています。

 彼ら彼女らには「『かわいい』あるいは『罪のない』野生のクマという『弱者』の命を奪おうとする『横暴な』『強者』である人間」のような思い込みが前提にあり、クマ(=弱者、被害者)を護る「優しさ」を掲げて行動すれば、あるいは自身が人一倍「優しい」、「正しい」側に立つ人間で在れると信じられているのかもしれない。

しかし、現実として地域や人々に多大な被害をもたらしているクマを、一方的に「弱者」や「被害者」であるかのように見立て、リスクがない遠方から「生き物を殺すな」との原理原則、理想論を振り回し、赤の他人に上から目線で説教あるいは命令する「やさしさ」は結局、誰のためか。抗議者の中には行政のみならず、クマに襲われた被害者の家にまで「自業自得だ」などと電話をかける者までいたという。*5

 ときに「幻想上のクマを護るために、現実の人々を殺す」に等しい暴論さえ、もっともらしく正当化してしまう「やさしさ」への狂信、事実上の「免罪符」こそが、あらゆる社会問題をより解決困難へと複雑化・」長期化させてきたのではないか。

何者かを「被害者」に見立て、それに対立する者は悪だとする独善的正義感。このような行動の傾向を本書では、キャンベルとマニングの論文その著作にある“Victimhood Culture”を引いて「被害者文化」と呼んでいます。

熊駆除の話に置き換えれば、クマを「被害者」として、自身はクマ駆除をする悪人に反対する「やさしい人」だと思い込み、正義感に塗れて他者を攻撃するということ。

何が「被害」なのかは、その人物の感情によると分析されています。

 自分たちの「繊細な」感情こそが最も重要な関心事であるため、個人的な「快・不快」と公共の「善悪」がそのまま同一視されやすい。その結果、単なる個人的な嫌悪や不快の対象に過ぎない言説や存在を「加害者」扱いしたり、些細なきっかけやその日の気分次第で、新たな問題をいとも簡単に「発見」あるいは「開発」し、助けを受けるにふさわしい「被害者」「犠牲者」を次々と創作することさえ可能になる。

当然、それらに対応して「解決」を担うべき「社会正義」も比例して増えていく…たとえば2007年に米国の心理学者デラルド・ウィン・スーによって再定義された「マイクロアグレッション」の概念などは極めて象徴的と言える。

クマ駆除に対する悪質な誹謗中傷・デマによる風評加害行為には、こうした心性が蔓延している社会的な背景があるのではないか。本書はそれに対抗するための試みが示されています。


編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。