2024年もあと2日を残すばかりとなった。そこで最近聞いたり、読んだりして感動した2つの話を忘れないために書いておく。
ドイツ高級紙「ツァイト」オンラインから定期的に記事が送られてくるが、今回は2025年に向けてポジティブな声が特集されている。それも「ツァイト」オンライン編集記者たちの生の声が紹介されている。その中で一人の女性記者の話が心に響いた。
彼女は妊娠している。ジャーナリストの彼女は世界の情勢や人間の尊厳が傷つくような世相の中に生きていることを知っている。「このような世界に新しい命を迎えることができるだろうか」といった不安があるはずだが、「私は年の初め、暗くて寒い季節、春がまだ遠い時期が好きではありません。でも2025年は2月が楽しみです。私たちは第一子を期待しています」と書いている。
もう一つの話を紹介する。ナチス・ドイツが台頭してきている時代に生きた2人のユダヤ人作家の話だ。希望を見いだせなかった時代だ。
ヨーゼフ・ロートとシュテファン・ツヴァイクの2人の作家は友人で、頻繁に書簡を交換していた。ロート(1894年~1939年)は東欧ウクライナ出身のユダヤ人であり、家族はユダヤ教正統派だった。彼もユダヤ教を信じていたが、後半、カトリック教会にひかれていく。ジャーナリストとして活躍しながら小説を書く。そのような生活の中で次第にアルコール中毒となっていく。住む家もなく、ホテル住まいの生活の中で多くの著名な作品を書いていく。
一方、ツヴァイク(1881年から1942年)は豊かなユダヤ人家庭の出身で、金には困らなかった。ベストセラー作家として人気を博していた。ロートから助けてほしいという手紙をもらうと、彼はお金を送って助けている。ロートが金が入るとすぐに酒を買い、他の貧しいユダヤ人に金をばらまくのを知っていたので、後半はホテル代を払うが、余分なお金がロートのもとに残らないようにしながらも支援している。
文学評論家たちによると、ツヴァイクはロートの才能を高くかっていたという。「ロートならば、酒を飲まず本を書けば凄い小説が生まれる」と信じていたからだ。ロートは神を信じていたが、苦しい生活の中でアル中毒が原因で最後は亡命先のパリで40代半ばで亡くなる。
一方、ツヴァイクは人間を信じていた。困った人間がいればいつも助けようとしたが、ナチスが台頭する頃には彼を裏切る友人も出てきた。ロートは神を信じ、アル中で死去、ツヴァイクは人間を信じ、最後は亡命先のブラジルで妻と共に、自分で亡くなった。希望が見いだせないナチス・ドイツの台頭時代に生きた才能ある2人のユダヤ人作家の生涯は壮絶なものがあった。
2024年は激動の年だった。ロシア軍のウクライナ侵略戦争は依然停戦の見通しはなく、目を中東に移すと、イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム過激テロ組織「ハマス」との戦い、そして戦火はレバノンにも広がった。
シリアでは50年以上独裁世間を続けてきたアサド父子政権は崩壊し、反体制派勢力による暫定政権が発足したばかりだ。シリアが来年、民主化の道を歩みだすか、それとも武装勢力間の内戦が再発するかは分からない。
スーダンでも内戦状況が続いている。その一方、中国共産党政権は核戦力を強化し、台湾再統合を狙っている。北朝鮮の金正恩総書記はロシアとの軍事協定を締結し、軍事大国化の道を歩み出そうとしている。
バチカンは24日、新たな「聖年」の幕開けを宣言した。「聖年(Holy Year)」とは、カトリック教会において特別な霊的恩恵を受けるための年を意味し、ローマ教皇によって宣言される。「聖年」は、罪の赦し(免償)を得たり、信仰を深めたりするために設定される特別な年で、カトリック教会の伝統だ。「聖年」の幕開けは、ローマ教皇が大聖堂にある「聖なる戸」(Holy Door)を開ける象徴的な儀式から始まる。これは、神への道が特別に開かれることを象徴的に見せているという。
バチカンは2025年の「聖年」のテーマに「希望」を選んだ。私たちは「希望」に飢えているからだ。コロナ・パンデミックで世界で700万人以上が犠牲となった。戦争や紛争だけではない、世界至る所で貧富の格差は拡大する一方、情報は溢れ、心の安らぎを見出すことが容易ではない。私たちは今、持続的な「希望」を必要としている。閉塞感を乗り越え、明日に対する希望をどこに見つければいいのだろうか。
ここまで書いてきて、「希望を探す」のではなく、「希望を失わないこと」ではないかと思わされた。このコラム欄でも数回紹介したが映画「希望を救え」のタイトルを思い出したのだ。
病院で最高の外科医と言われていた主人公が交通事故でコマ状況(昏睡)に陥り、体から霊が抜け出し、霊人と対話できるようになったことからこの映画のドラマは始まる。霊人との交信を通じて、患者たちを救っていくストーリだ。テーマは「希望」を探すのではなく、既にある「希望」を失わないように、救済することだ。私たちの周囲には本来、希望が至る所に顔を出しているのではないか。
2024年の一年間、お付き合いしてくださいまして有難うございました。新年が皆様に希望溢れる年となりますように。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。