山本太郎研究:山本太郎が経済問題では破天荒を演じない理由

山本太郎研究|加藤文宏|note
山本太郎の政治を解明する

破天荒への期待

山本太郎を取り上げた前々回の記事で、彼の選挙公約を紹介したところ「公約だけ見ると、それほど異様ではないですね」と感想を語る人がいた。

人々の不安に乗じた山本の「ベクレてる」に代表される反原発・脱被曝の言動は異様だが、「原発撤廃」というスローガンだけなら彼以外にも掲げる政治家がいた。反TPPも反消費税も憲法改正反対も、オリンピック開催反対でさえ山本だけが主張していたわけではない。

私が「おいこら主義」と名付けた山本の能登半島地震での姿勢も、復旧の遅れを誇張したり実態を歪曲して政権批判や首長批判をする行為と言い換えれば、彼だけのものではないのがわかる。
では山本の何が、他の政治家と違うのか。

他の政治家は暴言を吐いたとしても彼らが政治家らしさだと思う権威主義的であったり、形式的であったりする雰囲気を見に纏うのを忘れないが、山本は自らの破天荒さを見せつけるのを常としている。

山本太郎と言えば、政治家以前なら「佐賀県庁侵入事件」であり、政治家になってからは「ベクレてる」「自衛隊の任務は『人殺しの訓練』」「園遊会での直訴」「焼香パフォーマンス」「入管法改正案の採決でのダイブ」「ボランティアや視察の自粛が要請されている中での被災地訪問とおいこら行動」だ。これらは支持者たちにとって、歯に衣着せぬ正直な発言であったり、体を張った勇気ある行動などと見られ、山本が称賛されるポイントになっている。

民主主義の面倒くささからの解放

破天荒とは今まで誰もやらなかったことをしたり、慣行や常識とされるものごとを無視する態度だ。

山本太郎の破天荒な行動は、佐賀県庁侵入事件だけでなく、園遊会での天皇陛下への直訴も、入管法改正案の採決でのダイブも、民主主義の手続きを否定していた。ところが山本は、民主主義を完膚なきまでに破壊する領域には進まない。焼香パフォーマンスでは安倍晋三氏と議会を揶揄しただけで終わり、その先がない。パフォーマンスと呼ばれる所以である。

しかし、これでも山本は支持者を獲得し、支持者は溜飲を下げるのだから双方にとって十分なのだ。

民主主義の面倒な手続きに耐えられない人々は一瞬の解放感に酔い、何も変わっていないのに気付くと権力に憤りを覚え、新しい映画の公開を待ち望むように山本の次のパフォーマンスに期待する。これが、何ひとつ実現していない山本が失望されるどころか支持される理由だ。

経済観だけがまともに見えるという評価

2011年に発生した原発事故以降の山本太郎の言動を追うと同時に、Googleで「山本太郎」について検索された件数の推移から世の中の反応ぶりを観察してきた。

安倍晋三は政権与党の党首かつ首相であったのを考慮しなくてはならないが、山本太郎と比較すると、興味がなだらかに増加していた。関心の基盤となる、興味を抱く層が厚いのもわかる。

いっぽう山本は参議院議員になってから、焼香パフォーマンスなどがあったものの興味の度合いが低迷している。しかし同様に低調だった枝野幸男と比較すると、話題が激しく消費されたため興味の増減が著しかったのがわかる。

山本は破天荒な行動をやって見せないと忘れ去られるのを自覚していて、人々の不安や不満が高まり性急に解決策を求める災害時だけでなく、日頃から話題づくりにやっきになるのだろう。これが「公約だけ見ると異様ではない」ものの、山本に突飛で破天荒な印象が付きまとう原因だ。

講演会の質疑応答で福島に派遣されたレスキュー隊が被曝死したというデマが語られたとき事実として扱い進行したのも、原発再稼働に決定権のない佐賀県庁へデモ隊と突入したのも、「べクレてる」と言ったのも、承認欲求が高じて期待に応えようとしただけなのかもしれない。

いっぽうで、山本の経済観はマクロ経済学を松尾匡らからレクチャーされただけあってまともだと評価して、経済政策だけ支持する人たちがいる。しかし、山本が経済問題で破天荒な態度を取っていたら、たとえ経済観に裏付けがあったとしても不評を買っていたはずだ。彼は減税を唱えて焼香パフォーマンスのような真似をすることも、ロスジェネ対策を叫びながら国会でダイブすることもなかった。

ではなぜ反原発・脱被曝、安倍氏への問責決議、入管法改正案、能登半島の復旧問題などで破天荒な言動をとったのか。

反原発・脱被曝運動で人々の感情に怒りを着火して支持層を形作ったことは、山本にとって何ものにも変え難い成功体験だった。だが震災と原発事故ほど人々を不安に陥れる出来事はそうそうない。そこで本来は何も問題ない出来事で、しかも出来事の当事者ではない人々を焚き付けて権力への苛立ちを高めた上で、一瞬の解放感を与えなくてはならなくなった。このため、山本は破天荒を演じたのである。

だから破天荒を演じなくても支持層にジャストミートする経済政策だけが、突出してまともに見えるのだ。

破天荒の限界

先の衆院選で減税など経済政策を公約に掲げて政局のキャスティングボートを握るまでになったのは、れいわ新選組ではなく国民民主党だった。

日本経済新聞社とテレビ東京が12月20〜22日に行った世論調査では、国民民主党の支持率は自民党に次いで2位の14%だった。3位以下は「立憲民主党」が8.7%、「日本維新の会」が5%、「公明党」が3%、「共産党」が3%、「れいわ新選組」が3%、「参政党」が1%、「日本保守党」が1%、「社民党」が1%、「特に支持している政党はない」が24%だった。

なお、この日経とテレ東の調査では自民党は前回比2%増、国民民主は3%増、立憲民主党は7%減のほか公明、共産も支持を減らし、れいわ新選組は1%減、支持政党なしは5%増となった。国民民主党は主要政党から経済政策で満遍なく支持者を奪ったといえる。

山本太郎とれいわ新選組の経済観だけはまともという評価は、国民民主党の躍進を前に意味のないものになった。これが破天荒を売りにして、何ひとつ実現してこなかった山本の限界だ。

減税やロスジェネ対策がジャストミートする層の中でも、かなり限られた人々が山本を支持するだけで、これ以上は支持層を拡大できそうにない。政権や経済政策に不満を抱えていた人々の多くが、民主主義の面倒な手続きの山を一つずつ解決しようとする国民民主党の態度を支持したのだ。

これから山本は今まで以上に孤立を深める。だからなのか、それでもなのか、彼は民主主義の面倒くさい手続きを耐えられない支持層のため破天荒なパフォーマンスを繰り返すほかない。これからも有権者のうち3%程度の支持層のため、問題が存在しないところに争点が捏造され、騒動が支持者たちによって消費されるのである。

唯一の救いは、民主主義の手続きを尊重する人々が社会の大多数だったことだろう。


編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。