アフガニスタンでタリバン政権が猛威を振るっていた時、カブールからウィ―ンに逃げてきた男性がいた。彼はカブールでは検事だったというが、ウィ―ンでは日本レストランで食器洗いをしていた。彼の職歴を知っているレストランのスタッフは検事だったという彼を尊敬と少し哀れみの思いで見つめていたものだ。日本レストランが閉鎖になったのでその後の彼については知らない。いずれにしても、さまざまな難民がウィーンに避難し、そこで定着したり、経済的な理由からドイツに行く。
ロシア軍がウクライナに軍事侵攻して以来、これまで10万人のウクライナ人がウィーンに住んでいる。そしてオーストリアに住む難民の中でもウクライナ人は‘エリート難民‘と受け取られている。ただ、ウクライナ人は自分たちを難民とは思わず、一時的な避難民と考えている人が多い。だから、ウクライナで戦争が終われば、母国に帰国する考えだ。もちろん、彼らの中にはウィーンが気に入って将来も住み続けたいと考えるウクライナ避難民も出てくる。
今回のコラムのテーマは「文化圏」だ。なぜウクライナ人は中東・北アフリカ諸国からの難民よりオーストリア社会に統合し、オーストリア国民からも評価が高いかを考えた。そして答えの一つは、ウクライナはキリスト教の一大宗派「正教会」圏に入るからだ。オーストリアはローマ・カトリック教会国のキリスト教圏の一員だ。すなわち、オーストリアとウクライナ両国はキリスト教の宗派こそ違うが、同じキリスト教圏という「文化圏」に住んでいる、という事実だ。
「文化圏」といえば、キリスト教圏、イスラム教圏、仏教圏、ヒンズー教圏といったように、主要宗教が歴史を通じて民族に定着し、広がり、人類学者が言う「文化圏」というものを形成していったわけだ。オーストリアに住んでいると、「文化圏」という表現は、単なる社会・人類学的な概念というより、実際に生きている人間の言動、風習、伝統などに大きな影響を与えている要因だということが分かる。
オーストリア国民にとってウクライナ避難民の評価が高い一方、イラク、シリアなど中東出身の難民に対して厳しい目で対するのは、偏見や独断からというより、「文化圏」の問題だといえるのではないか。同じキリスト教圏といってもバルカン半島のセルビア人は主にセルビア正教会に属し、伝統的にモスクワのロシア正教会と深い繋がりがある。両国は東方正教会に属する。だから、セルビア人は親ロシア傾向があり、欧州連合(EU)加盟国のキリスト教国とは文化圏が違い、パーセプションギャップが生じる遠因ともなる。
例えば、難民による女性暴行事件が生じることがあるとその度に、メディアから「だから難民を受け入れるべきではない」といった意見が飛び出す。イスラム教圏出身の男性の難民の中には女性に対する尊敬心がない者が少なくない。それ故か、若いイスラム教出身の男性難民がオーストリアの女性に暴行するという事件が起きる。キリスト教圏では女性の権利尊重は小さい時から教えられる。
文化圏の相違が社会、政治問題に大きな影響を与えているとしたなら、他の文化圏との交流や連帯が難しい面は否定できないが、不可能ではない。キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教は元をただせば信仰の祖アブラハムから発生した宗教だ。だから、キリスト教圏、イスラム教圏で文化圏を分けている限り、両宗教にはその教えや慣習で違いが出てくるが、両宗教が同じアブラハムから発生した「アブラハム文化圏」に属すると考えれば、和解、連帯の心情が生まれてくるのではないか。
たとえば、スペインは一時期、欧州のイスラム教の拠点だったことがある。そのスペインは現在、カトリック教国だ。アラビア半島からイベリア半島までその勢力を拡大したイスラム教派は718年、西ゴート王国を破り、イベリア半島を支配した。イスラム教の指導者たちはスペインにいたユダヤ教徒らの助けを受けてスぺインを占領していった。イスラム教がスペインを支配していた間、スペインでは天文学、数学など学問が急速に発展した。現地にいたユダヤ民族は1055年前までの時代を「黄金の時代」と呼ぶほど、ユダヤ学問や文化が栄えた時代だった。イスラム教帝国にとって医者や学者の多いユダヤ人は統治に必要な人材として重宝された、といった具合いだ。
欧州では難民、移民問題が大きな政治、社会問題となっている。文化圏が異なる出身の難民が欧州のキリス教圏で統合するために様々な葛藤や戦いを経験する。一方、彼らを迎え入れる側は異なった文化圏出身の難民に対して時に偏見や敵愾心が生まれてくる。欧州の政界が右傾化してきたといわれるが、その背景には、文化圏と他の文化圏の衝突といった構図が見られる。
アブラハムから派生したユダヤ教(長男)、キリスト教(次男)、そしてイスラム教(3男)の3兄弟の歴史を振り返る時、3兄弟が連携し、結束するならば、高度の文明が広がるのではないか、といった希望が湧いてくる。特に、ユダヤ教とイスラム教は常に犬猿の関係ではなかったのだ。パレスチナ問題を考える時、ユダヤ民族とイスラム教徒の和解は必ず実現できるという希望が生まれてくる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。