「地方暮らしで車がないのは甘え」は正しいか?

黒坂岳央です。

SNSで本稿タイトルの投稿が大きく炎上している。

「公共機関のバスは1日2本しか来ない」
「最寄りスーパーは7km先」
「バスも電車も廃線しつつある」

といった地方在住者からのカウンターが炸裂している状態だ。

筆者は現在、東京からの地方移住で熊本県在住だが、熊本県の中でも「最寄りのコンビニまで徒歩で1時間以上かかるレベル」の人口が少ない地域に住んでおり、「車なしで生活を」と言われると買い物や通学すら出来なくなる。

だがここで今一度冷静に、「本当に地方暮らしは車がないと生活できないのか?」について考察したい。

gyro/iStock

「地方暮らし」は千差万別

「地方」といっても環境やインフラはあまりにも千差万別である。それは東京圏の比ではない。

たとえば自分が住んでいる熊本県の熊本駅周辺エリアは非常に地価が高く、一等地のマンションは中古でも一億円以上する。

一方で、自分の近所なら新築一戸建てが2000万円以下から建てられるし、2階建て6DKの中古戸建ては築古だが「たったの250万円」という破格で手に入る(こうしたチラシをよく見る)。

ちなみに筆者が仕事をするために借りているオフィスは、月額賃料は駐車場込みで3万円台。同じ広さで東京の一等地で探すと、下手すると10倍近くの価格になる。

だが同じ熊本県でも両者のライフスタイルはあまりにも違う。熊本駅周辺の中心地に住むなら、車を持たなくても余裕で生活が出来てしまう。

しかし後者については、前述した通り通勤通学、スーパーやコンビニ、習い事などすべてに車が必要だ。仮に全てを自転車移動で済ませようとすると、全力の立ち漕ぎをしても、1日の移動時間だけで何時間もかかってしまうのでまったく現実的ではなくなる。

さらにいえば「自動車」といっても普通自動車ではなく、「一家に一台”軽トラック”がデフォ」という感覚すらある。筆者が受け取る園や学校からのお便りには「イベントの荷物運搬のため、当日は軽トラックでお越しください」と書いていたりする。もはや、車社会というより「軽トラック社会」なのである。

つまり、問題は「地方」という大きな主語で考えるのではなく、地方のどこに住むか?で話はまったく変わってくるのだ。投稿者は主語が大きかったから炎上してしまったのだろう。

筆者が若い頃に住んでいた大阪府池田市は、大阪でありながら車がないと結構不便な事が多かった。同じ大阪府でも梅田や難波、大阪市とはまったく違ったライフスタイルになる。つまるところ、都道府県単位で考えるのではなく、市区町村単位で考える必要があるだろう。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。