カナダとは言え、本屋をやっているので日本の雑誌も当然扱うのですが、週刊文春の売れ行きはかつての勢いはありません。私自身は文春がおもろかったのは新谷学氏が編集長の頃である2014-18年7月頃ではなかったかと思っています。
事実、同誌の部数を見ると2014年上期で45万部、17年下期が36万部でした。18年データがないものの、18年上期でも30万部以上はあったでしょう。個人的印象としては文春砲というより新谷砲であって彼の手腕が圧倒していたと思うのです。
雑誌というのは編集長次第で内容はかなり変わります。そして読者にとって改変が良い場合も悪い場合もあるし、内容が薄くなったり濃くなったりします。例えば私が愛読している日経ビジネスは毎週欠かさずに27-28年間、全ページ読み続けているので編集長の変わり目で内容がガラッと変わることは敏感にわかります。その度に「今回の編集長はいいね」「あれ、なんかちょっと内容つまんなくない?」「編集長の個性出すぎ!」といった具合に毎回それなりの印象はあります。
私は週刊文春を昔からそれほど面白い週刊誌だと思ったことはなく、ライバル誌、週刊新潮の方を愛読していた時代もあります。どちらも見出しの特集やスクープ的なところは注目されるのですが、それ以外のページがイマイチ、これに尽きると思います。
それでも新谷氏が編集長の時はスクープがあまりにも激震的だったので世の注目も浴びたということでしょう。その文春も2012年下期には48万部販売という記録を打ち立てたもののその後、新谷氏の時代も含め、販売数は凋落、24年上期で19万部まで落ちているので今回の中居氏問題が起きる直前で17-18万部程度ではないかと推察します。そして私の見込みではこの後、文春の売り上げは急落するとみています。それぐらい今回の誤報はかつての輝ける文春のプライドがさび付き、信用がた落ちになったように見えます。
産経が指摘する最近の文春の失敗のケースです。木原元副官房長官の妻への疑惑事件(23年7月)、松本人志氏報道の証拠問題(23年12月)、片山さつき議員の国税庁口利き疑惑の裁判敗訴(23年4月判決確定)、松下新平議員のハニートラップ疑惑一審敗訴、控訴棄却(25年1月)といった具合で不甲斐ない状態が続いています。特に松本人志氏問題ではぎりぎりのタイミングでの双方の和解とか今回の中居氏の問題で橋下徹氏の指摘で手のひらを返したような状態になったことで世の中を混乱させたことは経営としての責任は重いものになりそうです。
中居氏問題は調査委員会の報告を待たねばならないのですが、もしも仮にフジテレビ叩きの原因となった編成部長A氏が全く関与していないのならフジテレビは第三者的になってしまい、この一連の騒動は何だったのか、ということになります。もちろん同局が早くからこの問題を知りながら知らんぷりで稼げる中居氏を起用し続けたのは問題です。一方でなぜフジだけがこの問題にここまで深く関与しているのかもちょっと解せない気はします。(つまりフジはA氏介在に関わらず、責められる明白な理由があるということでしょうし、本当にフジ特有の問題だったのかがポイントです。)
一方、フジテレビ側は文春の報道が大きな影響力を持っていたとして訴訟を含め、あらゆる方法を検討していると述べています。今回のフジテレビが被っている被害額から推測すれば文春が「フジテレビ砲」で軽ーくぶっ飛んでしまうぐらいの威力がある話であり、それこそ結果次第では文春の存在すら危ぶまれることになりかねません。
週刊誌とは私の中ではゴシップというより「のぞき見」であり、雑誌としての品格は最低、つまりあってもなくてもなにも困らないものだと思っています。暇つぶしという位置づけですが、今日ではスマホでなんでも読めるし、一部週刊誌はサブスクもあるし、大手週刊誌は広告宣伝的に目玉記事をネット記事として無料で掲載したりします。現代人は一つの案件をじっくり深堀するほど暇ではなく、ごく一部の方が趣味に任せて追っかけるという傾向が強いと思います。
タイトルの「週刊文春の終焉?」というのは私の勝手な想像ですが、週刊誌全般の役割はいよいよ終わりが近づいたという気がします。時代の流れでもあるのでしょう。のぞき見稼業で稼ぐというのはもはや流行らないということです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月31日の記事より転載させていただきました。