【鳥山明・一周忌】主役は博士?「Dr.スランプ」誕生の知られざる攻防

昭和55年、ペンギン村に突如として現れた少女――則巻アラレ。「ドクタースランプ」とあだ名される、AHOな天才博士の手によって完成した彼女は、超人的な力と無邪気すぎる性格で博士を、そして住民たちを毎回混乱に陥れる。「彼がなぜアラレを作ったのか」は一切描かれない。動機も、目的も、説明されることなく、読者はただ「アラレが存在する世界」に放り込まれる。

「週刊少年ジャンプ」で連載が始まる直前まで、この「Dr.スランプ」の主人公は“則巻センベイ博士”だった。少なくとも新人漫画家・鳥山明はそう考えていた。

担当編集の鳥嶋和彦は違った。「博士でなく、アラレを主役にすべきだ」。こうして『Dr.スランプ』は当初の意図とは異なる形で始まることになった。

鳥山と鳥嶋… 後に「ドラゴンボール」を世界に放つことになるこの二人が、どういう風にこの伝説の第一話で激突したか、見てみよう。

[第1話]Dr.スランプ - 鳥山明 | 少年ジャンプ+
天才科学者(?)の則巻千兵衛が作った人間型ロボット・アラレちゃんが暴れまくるパワフルGAGワールド! ペンギン村を舞台に、個性あふれるキャラクター達が続々登場!

アラレ誕生

これが最初のページ。正しくは冒頭頁の上部三分の二。

可笑しくもなんともない。

ところがこの後に、こんな最終コマが来ると…

「うわっ何これ!?」と驚きと、そして笑いが来る。

この衝撃的というか笑撃的ワンページを作り上げるに至るまで、二人の鳥のあいだでおよそ500頁ぶんのボツの応酬があったという。

次の頁はどうだろう。

もし日本語が読めなくても、この二コマで、このふたりがどういう会話をしているのか、絵から想像がつく。

①ひげのおっさんが、生首娘に向かって何か指示を出していて、②で指示どおりに腕を動かしたら睾丸を直撃してしまったのだな、と。

目玉が盛り上がってしまうという漫画チックな表現が三連。これどうしてか分かるかな?

このおっさんが目玉をむき出しにしていたら、それは何かギャグやってますと読み手に学習させるためだ。

やたら目玉が飛び出る理由

ページをめくると、念押しが来る。女の子がカメラ目線でアカンベーしている姿でドカンと笑いが来て、それにおっさんが目玉を出してたしなめる。

この彼が目玉を出したらギャグやってますと念押ししているのである。

おかげで次のページで、この二人の掛け合い漫才が堪能できる。日本語が読めなくても、だ。

ギャグまんがは、台詞オンリーでは成り立たない。といって台詞に頼らない笑いは、あまり幅が出ない。そこで「目玉が飛びでたらそれは何かギャグやってますよの合図」と読む側には早めに呼吸をつかんでもらう。

そうすれば、台詞をいちいち追わなくても、視覚的に「ああ何かギャグやってるな」と即時に反応して、そしてコンマ数秒遅れで吹き出しに目を送って「ああなるほどそういうギャグか」と理解して、脳内で整合して大笑いが発生する…

ボケとツッコミ

ページをめくろう。彼の目玉露出が、だんだん大仰になっていくけれど…

女の子のほうは、目玉に変化が起きない。

博士の目玉がどんどん派手になっていくのと、彼女の目は変化しない様が、交互に現れる。

これは漫才のボケとツッコミの漫画記号的表現だ。彼がツッコミで、女の子がボケ。

眼鏡をかけさせた本当の理由

さらにここに注目。①メガネが出てきて、②それを掛けると、③ちょっぴりだけ彼女の目が反応する。

最後のコマ、拡大してみよう。「びっくり」の漫画記号がそっと添えられている。

彼女のほうのびっくり目玉(赤マーク)は控え目、おっさんの目玉は派手(青マーク)。

さらには大口を開けている。

女の子(ボケ)とおっさん(ツッコミ)の漫才構図がここでも保たれているのである、よりパワーアップして。

この子(この時点では名無し)に眼鏡をかけさせた理由について、作者の鳥山は「近眼のロボットというのは笑いが取れると思っただけで特に理由はない」と振り返っているが…

違うと私はみる。とび出る目玉は、鳥山の最初の投稿まんが(佳作にも入らずボツ)から現れているモチーフで、

「アワワワールド」より。23歳の誕生日に描き始めた

彼の描き線に非凡なセンスを感じた若き鳥嶋が、鳥山の「ジャンプ」デビューを目論み、そしてボツを(一年にわたって)何度も何度も出していくうちに――

鳥山は台詞に頼らずまんが絵の力でドカンと笑いを取る技を、次第に会得していった。

ちなみに当時(昭和55年)には漫才ブームがあった。それが「ドクタースランプ」第一話に混入したようである。

街でアンドロイド試運転

センベイは、この子を行きつけの喫茶店に連れていく。

以下の視線三角関係にご注目。

これがアンドロイドだと見抜けるかな?ふひひ(赤の両矢印)顔をしている。

彼とはざっくばらんな仲らしい、このお姉さんは、この子が彼の妹だと言われて「にてないじゃないのよかったわねえ」と大ボケを放った後、直接話しかける。

冒頭のがキャッチボールの笑いだとするならば…

ここは中継プレーの笑い。

旋風Z

人間チェック・テストを終えたメガネ姫は、扉の向こう側におそるおそる足を踏み出して…

左右反転Zにそって駆け出すと…

キキーッ ドカン!

この最終コマ、鳥山はどういう意図で描いたのか、分かるだろうか?

アラレの人間デビューが成功して、ほっとしたところに、この大事故が起きてしまった、つまり彼女は人間ではないとばれてしまう…

そうですこの最終コマで、作者さんは…

結局失敗作でした、センベイのあほーあほーだひゃひゃひゃひゃ!

…と読者の皆さんに大爆笑してもらいたかったのである。

鳥山の目論見、鳥嶋の異議

この「…………」に注目! これは<せっかくうまくいったと思ったのに、結局アンドロイドだとばれちゃったよ、わしはドクタースランプだわ>と彼が思っている様。

鳥山先生にとっては、彼こそが主役で、その天才的なアホ科学者ぶりを見せつけるためのアイテムとして、この女の子を出したのだ。

おそらくこの第一話で出番終了の、使い捨て。

それに異を唱えたのが、鳥嶋だった。

この原稿にようやくOKを出して、続く第二話のネーム(鉛筆によるラフ草稿)を鳥山に描かせたら…

アラレが出てこない

「ああ鳥山くん? 第一話のこの子、とてもいいのに、どうして第二話で出さないの? こっち主役にしなよ」

鳥嶋は当時「ジャンプ」で人気低迷中だったアクション刑事ものに、あるアイドル歌手似の婦人警官を、準主役で登場させるよう漫画家に促して、打ち切り寸前だったのを一気に人気回復させて、自信を抱いていた。

鳥山先生にすれば「ドクタースランプ」の異名を持つこのおっさんの天才的AHOぶりを見せつけるために(そして鳥嶋に促されて)用意した、一回きりの捨てキャラ。

それゆえに第一話のこの最終コマで、彼女は人間ではなく、博士の珍発明でしたーと見せつけて幕とした

ただ、ここではアンドロイドとわかるような描写はされていない

鳥山先生にすれば「博士の珍発明だったと、結局お姉さんにばれちゃったー」だったのだが…

担当編集・鳥嶋はそうは読まなかった。

すごいぞこの子、黒縁メガネのスーパーガールやんか面白い!

鳥嶋の目

視線誘導の線を引いてみよう。

こうやって時計回りして…

ぐるっと回って…

女の子に戻ってくる。

鳥嶋が、この誘導ベクトルの連鎖を即座に見抜いて、興奮した様が目に浮かぶ。「主役はこの子だ!」と。

「鳥山くーん、この子主役にしようよー」

しかし鳥山先生は、この電話に非常に戸惑ったという。

その後描かれたとおぼしいこの扉絵に、鳥山の戸惑いがよく現れている。

時計回りのベクトル!

おそらくこの最終コマが描かれた後…

鳥嶋から「この子主役にしなよ」と強く促されての戸惑いが…

その後描かれた扉絵に、強くにじみ出たものと推察される。

にもかかわらず、タイトルは「Dr.スランプ」。鳥山は譲らなかった。「これはあくまで“スランプな博士”の話だ」と。結果としてその後繰り広げられたのは、天才AHO博士の作り出した天真爛漫な少女ロボットが、想定外の行動を毎回しでかし、彼を、そして街を振り回すというユニークな構造の物語だった。

主役はどっちだ

第一話扉絵(右側)にあった、めがねっ娘のねじ巻き鍵が、第二話扉絵(左側)でも出てくる。

ねじ巻きおもちゃは、誰かがねじ巻きするからこそ動き出す。右の絵ではひげ男性が、この子を作動させたのだろうと想像をかきたててくれる。が、左の絵では、下の三人を作動させたのはたぶんこのめがねっ娘だろうと想像させる。

彼女の頭部が、網目からはみだしている。これは、この子がこのまんがを統括する、すなわち主人公として物語世界を統べるぞという映像的宣言である…

…と早とちりしてはいけない。「ジャンプ」掲載時には彼女の頭にそって「Dr.スランプ」とタイトルが出ることを鳥山は計算に入れて…

主役は博士であると視線誘導で強調。

最終頁の最終コマにも注目。

第一回ラスト(下図)と反転している。

わかるだろうか? 鳥山先生にすれば「まさにドクタースランプですわあっはっはっ」とオチをさく裂させているのだ。

彼の中では主役はセンベイ博士だったのである。

[第2話]Dr.スランプ - 鳥山明 | 少年ジャンプ+
天才科学者(?)の則巻千兵衛が作った人間型ロボット・アラレちゃんが暴れまくるパワフルGAGワールド! ペンギン村を舞台に、個性あふれるキャラクター達が続々登場!

これが鳥山マジック

第三回もそう。

この扉絵にタイトルが入ると…

最終コマでも全員の視線が博士に集まる。まさに「ドクタースランプ」だよと。

こう分析していくと、アラレ(メガネの女の子)を主役に置きたい鳥嶋と、ひげのおっさん(ドクタースランプ)を主役と考える鳥山先生とで、綱引きがしばらく続いていたのがうかがえる。

[第3話]Dr.スランプ - 鳥山明 | 少年ジャンプ+
天才科学者(?)の則巻千兵衛が作った人間型ロボット・アラレちゃんが暴れまくるパワフルGAGワールド! ペンギン村を舞台に、個性あふれるキャラクター達が続々登場!

April 5 1955 – March 1 2024

普通なら「天才博士が理想の女性を作ろうとした」とか、「科学の発展のため」といった理由が示されそうなものだ。しかし鳥山と鳥嶋の綱引きが、結果的にそうした説明をバッサリと省かせた。「Dr.スランプ」は、ロジックよりも勢い、設定よりもキャラクターの魅力が先行する作品として、時代を駆け抜け、作者をスターに、そして疲労困憊の道を歩ませていった。

今日で一周忌。鳥山先生、あなたのことは忘れません——