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日本が崩壊する理由を今回と次回の2回に分けて説明することにしたい。
戦前・戦中の歴史を直視しない歪んだ教育を続ければ、日本は崩壊する
かつて歴史学者トインビーは「自己決定能力を失った国家は滅びる」と指摘した。この30年余りの日本の政治において、政治家の信念を見出せない。多くの問題は先送りされるのが常であり、国民の間では「平和ボケ」が続いている。さらに、日本の将来に向けた明確な国家戦略も見えてこない。
防衛についても、自衛隊の武装を強化しようとすれば、「戦争をするのではないか」と恐れる声が上がる。だが、侵略を防ぐためには防衛力の強化が不可欠である。それにもかかわらず、多くの国民は防衛力強化に反対し、いまだにその重要性を理解できていない。
これは戦後の誤った教育の影響によるものだ。例えば、「日本軍がアジアで侵略戦争を行ったため、その報復として原爆が投下された」と考える人が多い。しかし、それは事実ではない。原爆が投下された背景には、日本人が人種差別の対象となり、実験材料とされたという側面がある。当時のアメリカは、新たに開発した原爆の威力を試すための標的として、日本を選んだのだ。
なぜドイツではなく日本だったのか。それは、アメリカがドイツ人を「同じ白人」と見なし、原爆の投下を避けたからである。対して、日本は「敵国であり、有色人種である」という認識のもと、標的にされたのだ。
また、日本が戦争に突入した背景には、アメリカの対日戦略があった。アジアの利権を求めるアメリカにとって、日本の存在は障害だった。確かに日本軍の中国での行動には問題があったが、アメリカは次第に日本を敵視し、戦争に追い込んでいった。その一例が、日本の原油輸入ルートの封鎖である。これにより、日本はアジアからの撤退を迫られる状況に追い込まれた。
さらに、アメリカは日本に「ハル・ノート」を突きつけた。これは、日本に対し、事実上の無条件降伏を要求するような内容であり、日本を窮地に追いやるものだった。こうした圧力の積み重ねが、日本を戦争へと導いたのである。
日本軍を悪者にした戦後の教育
日本の戦後教育では、日本軍を「悪」とする教育が行われた。その背後にあったのは、6年以上にわたり日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)である。GHQは、自らを「日本に民主主義をもたらした救世主」であるかのように宣伝し、米軍を善、日本軍を悪とする価値観を植え付けた。その象徴が東京裁判である。
東京裁判は、戦勝国が敗戦国を裁く「復讐裁判」であり、中立性を欠いていた。その結果、「A級戦犯」とされる人物たちが処刑された。しかし、この裁判自体が国際法的に違法であり、その判決は本来無効であるべきだった。それにもかかわらず、戦後の教育ではこの事実を教えず、むしろ東京裁判の判決を既成事実として扱ってきた。
その影響で、中国や韓国は「A級戦犯が合祀されている」として靖国神社参拝を批判し続けている。しかし、日本政府はそれに対して明確な反論をせず、むしろ両国の主張に配慮しようとする姿勢をとっている。多くのメディアもこの流れに追随している。
靖国神社には、国家のために戦った260万人の英霊が祀られている。それを外国から批判される筋合いはない。本来、国民に国家への誇りがあれば、このような批判を無視できるはずだ。しかし、戦後の教育では、「自己の尊重」や「人権の主張」は教えられても、「国家への愛」はほとんど教えられてこなかった。また、国民の精神的支柱となるべき宗教や道徳も軽視されてきた。
終戦後、多くのアジア諸国は日本の影響を受け、独立運動を展開し、実際に独立を果たした。その際、多くの旧日本兵がアジアの独立運動に協力した。日本がアジアの独立に貢献した事実は歴史的に明白であるにもかかわらず、戦後の教育ではこうした事実をほとんど教えていない。それどころか、日本政府は今もなお謝罪を繰り返しているだけである。
こうした誤った教育が生み出したのは、「平和ボケ」と「愛国心の欠如」だ。そして、「軍備強化は悪」とする単純な思考が根付いてしまった。その結果、日本は「米国に追随することが正しい」と考えるようになった。しかし、米国が日本の危機に際し、自国の兵士を犠牲にしてまで日本を防衛する保証はない。この現実を、日本人は直視すべきである。
カルタゴの崩壊に日本の将来を見る
紀元前5世紀ごろ、現在のチュニジア北部にフェニキア人が建国した国家があった。それがカルタゴである。貿易立国として地中海を制覇し、スペインにもその影響を及ぼした。カディス(当時の名称はガディール)やマラガ(同マラカ)といった都市は、カルタゴ人によって建設されたものである。また、カルタゴは強力な海軍を有し、その軍事力も地中海世界に大きな影響を与えた。
カルタゴとイタリアの間にはシチリア島があり、カルタゴはこの島の覇権をめぐりギリシャと戦った。そして、その後、巨大化したローマと3度にわたり戦争を繰り広げた(ポエニ戦争)。第2次ポエニ戦争では、名将ハンニバルがピレネー山脈を越え、ローマ近郊まで攻め込んだ。しかし、最終的にはスキピオ将軍率いるローマ軍に敗北し、カルタゴはローマの従属国となった。
その後、カルタゴは復興を遂げたものの、最終的には武力を大幅に制限された状態で第3次ポエニ戦争に突入。武器を没収されたため手製の武器で応戦したが、圧倒的に不利な状況のもと敗北し、ローマによって徹底的に破壊された。
筆者がカルタゴの例を挙げたのは、日本が大東亜戦争で敗北し、米国に無条件降伏して以来、外交や国防において米国の顔色を窺い続けているからである。そこには独立国家としての主体性が見られない。さらに、「平和国家であることを示す」という名目のもと、軍備の強化をできる限り避ける政策をとっている。この状況は、経済的に繁栄したものの、強大なローマを前に軍事への関心を失い、平和ボケしていたカルタゴ市民の姿と重なる。
現在の日本では、「武力の強化」を否定的に捉える国民が多い。中には「非武装中立」という非現実的な考えを持つ者もいる。しかし、日本を取り巻く環境を見れば、これはあまりにも楽観的すぎる。日本の周囲には、中国、北朝鮮、ロシアといった核武装国が存在している。それにもかかわらず、日本国内では軍備強化に対する抵抗感が根強い。
ある世論調査によると、「国のために武器を持って戦う」と答えた日本人はわずか13%にすぎなかった。これは調査対象国の中で最低の割合である。このままでは、日本の未来はカルタゴと同じ道をたどることになりかねない。国家が独立を維持するためには、経済力だけではなく、軍事力や防衛意識の強化も不可欠である。