月刊正論に「『日本保守党』論争…リベラルが笑っている」(潮匡人)とあります。記事の内容は日本保守党を巡る様々な誹謗中傷に近い論戦について述べており、冒頭に「保守論壇が荒れている」と書かれています。記事を読み進めて最終的に何を言いたいのかよくわからなかったのですが、たぶん、同じ保守同士でその考え方に相違があり、一枚岩になれないと言いたいのでしょう。
日本保守党HPより
世の中に考え方は無限にあるわけで何処までなら許すか、という観点で見る時、かつてなら70点ぐらいでもOKだったこともあったと思いますが、自分の信念にかかわる部分については特にそのハードルは高く、90点とか95点を要求しているように感じます。近年は世の中の考え方が保守、革新にかかわらず、全般的に割れやすいのが趨勢でしょう。ただ特に保守系の方の意見はリベラルよりもっと強く、またその主張は激しいような気がします。
アメリカの民主党は昨年の大統領選以降、全く冴えず、民主党内部の統制を含め乱戦模様のようです。それでもなぜ、リベラルは保守派ほど誹謗中傷になりにくいかと言えばリベラルの方が他者を一応評価しながらも自分は自分という混在型を認める素地があるからではないかとみています。一方の保守派は非常に強い指導者のもと、圧倒的なリーダーシップがないと主義主張で統率できなくなる傾向はあると思います。安倍晋三氏が亡くなりここが崩れたのは良い例でしょう。
日本は憲法上、様々な自由が権利として確保されていますが、日本の「表現の自由」はある意味、世界の中でもユニークな立ち位置にあると思います。
売れなくなった書籍。しかし、出版年鑑をみると2023年に約64000種類の書籍が出版されています。1日当たり175種類の新書が生まれているのです。統計的には2013年の82589種類がピークでそれ以降、下落の傾向を辿っていますが、売れない書籍と減る書店、一方で溢れる新刊とそれを支える「一人出版社」の大活躍です。ビジネス的需要と供給の考え方が全く無視された特殊な世界がなぜ生まれたのでしょうか?
以前、友人と会食した際、「これ、名刺代わり」といって最新の著書をくれました。氏いわく「出版して儲けるなんてとても無理」と認めています。ではなぜ、それでも出版するのかと言えば社会での認知度アップなのだと思います。認知される方法はいろいろあります。かつては学者が論文を発表することで認知されました。次に専門家や研究者が専門の書籍を発行することで認知されるようになります。今ではSNSを通じてインフルエンサーが沢山生まれていますが、アカデミアのレベルで考えると専門を深掘りしたような書籍の出版実績がより社会的信用度が高まりやすいのです。つまり、「書籍が名刺代わり」というのはそれにより「自分を公的にアプローチしてもらう営業」をしているとも言えます。事実、その書籍をくださった方は社会学者として時々報道でコメンテーターとしてお名前をお見かけします。
では専門的知識がなければどうするか、これが日経の記事、「『誰でも作家』同人誌脚光 コミケ300万作品、研究の糧に」であります。同人誌とは自主製作本であり、平たく言えば自費出版に近いものです。とにかく自分の主義主張をパブリックにアプローチし、自分のファン層を獲得し、心地よい「自分だけのユートピア」を目指すのでしょう。
同人系は書き物に限らず、絵とかアニメもあります。私どもがいつも出ているアニメのイベントでは約150の出展者のうち、1/3ぐらいは同人系の絵やアニメを売っています。売れている人もいるし、一日で何点しか売れない人もいるようですが、彼ら彼女らはそこに出展し、自分の作品をアピールすることに意義を感じており、客に「素敵な絵ですね」と言われることで嬉しくなる、つまり肯定的認知を忍耐強く待ち続けるように見えるのです。
くだんの日経の記事によるとビックサイトで開催される「文学フリマ」の出展者は3000以上、来場者は15000人に上るそうです。また、無料で素人の小説を公開、閲覧できるサイトの登録者は270万人とされます。
世界中で表現の自由は試みられますが、国や宗教上の理由により厳しい制限制約があったり、弾圧や一神教的な枠組みから外れる思想に対する批判が出るなどなかなかフリーハンドになりません。日本は世界の中でも異質中の異質なのです。
様々な知識を持ち、自分で考える能力に関して言えば日本人も二分化してきており、深掘りが出来る人と世の中の動きにテレビやネットのニュース以外ほとんど知識を持たない人に分かれてきていると思います。また一般的な知識が欠落していてもある分野に関しては異様に深い知識を持つ方も多く、それらの方が表現の自由を通じてより突っ込んだ思想に入っていくケースも多いでしょう。まさに「一家言あり」です。
個人的には良いことだと思います。考え、議論することは重要です。そして世の中にはいろいろなアプローチがあることを認めながら切磋琢磨していければ日本人は世界の中でも極めて高い能力を持ち、世界がうらやむほどの豊さを推し進められるとみています。
ただし、表現の自由には反論があっても一定のリスペクトが必要だと感じます。時として言葉の暴力になっているケースもあり、それはまだ日本が表現の自由に対して十分成熟していないともいえます。私はこのブログで何度も言っているように考え方はいくらでもあるのです。その中のどの視点にスポットライトを当てるかで個々の主張やトーンは変わってきます。よって他人の意見を「違う!」「こいつはアホだ」と断じるのではなく、「なるほどそういう見方もあるが…」という心も持って頂ければ日本の表現の自由は世界がうらやむレベルになると思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年5月14日の記事より転載させていただきました。