米国の「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギー(1835年-1919年)の言葉に、「過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の枠の中で生きよ」というのがあります。過去にも未来にも囚われることなく近未来を見定めつつ「今日一日の枠の中で生きよ」、というのが私流の解釈です。
先ず、過去に囚われてしまっては、碌なことにはなりません。過去は反省するべき対象ではありますが、決して囚われてはならない対象です。私は、『過去との向き合い方』(21年5月27日)というブログで次のように述べました――私は自分自身の過去などというのは基本何度も振返ってみても大概意味がないと思っています。(中略)過去正しかった事柄が、未来でも正しいとは言い切れません。私は寧ろ、英国元首相ウィンストン・チャーチル(1874年-1965年)が「If we open a quarrel between the past and the present, we shall find we have lost the future」と述べているように、過去に固執する者は未来を失う結果になるのではないかと考えます。
もちろん幾度も指摘している通り、歴史には学ばねばならないことは言うまでもありません。確信や見識といったものを涵養するには、やはり歴史・哲学に学び、それを踏まえた上で時局・時代を認識し、そして現代的諸問題に対し自ら評価・解釈して行くことが必要だと思います。従って私自身でもこれまで歴史を知ろうと大いに努めてきましたが、他方自分自身の過去については何度も振返らぬようした方が良いのではないかと思います。我々は今という過去から時時教訓を得て、常に前を向いて歩いたら良いのです。過ぎ去った事柄に囚われてはなりません。過去に拘る者は未来を失うのです。
次に、「未来を鉄の扉で閉ざせ」とは、余りに遠くを見過ぎて夢を見るだけになってはいけないということです。『夢から全てが始まる』(19年5月17日)という嘗ての当ブログで次のように述べました――夢の実現とは一足飛びに行くわけでなく、それに向かって一歩一歩しかし着実な努力が必要です。それは着実な成果を生むための努力でなければならず、その歩みの一歩一歩が本当に正しいか否かを、ずっと検証して行かねばなりません。そうして、「その道を歩めば目的地に行けるか。もっと近道はないのか」といった反省を繰り返しながら、前に向けての策を真剣に練り続けることが求められるのです。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」(吉田松陰)とは、実に至言であります。「未来を鉄の扉で閉ざ」すことなく足元をちゃんと見つつ「今ここに」真に生きる姿勢を持ち続けられたなら、結果として未来という永遠も見えてくるものでしょう。江戸期の臨済宗僧侶で正受老人(しょうじゅろうじん)の名で知られる、道鏡慧端(どうきょうえたん、1642年-1721年)禅師の言に『一大事とは今日只今の心なり』とあります。人間、明日死ぬやも分からぬ中で「今ここに」その時に、如何なる心根(こころね)でいるかが大事だということです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2025年6月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。