黒坂岳央です。
かつてはありえなかった「他人に退職を代行してもらう」という行為が、令和の今は当たり前になりつつある。退職代行サービスの利用者は急増し、マイナビ転職の調査によると、直近1年間で転職した人のうち16.6%がこのサービスを使ったというデータもある。
SNSでは「逃げだ、甘えだ」という意見や、「命を守る手段」「当然の権利」といった擁護がぶつかり合っている。しかし、どの意見も経営者側、人事側、従業員側とそれぞれのポジショントークに終始しがちで、冷静で合理的な視点は少ないように思える。
本稿では、退職代行という現象を単なる是非の問題に矮小化せず、多角的な視点からその本質に迫りたい。
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賛成派の意見
SNSやニュース記事へのコメントで「退職代行を支持する声」には次のような根拠があげられていることが多い。
- 精神的に追い詰められた労働者が、最小限の負荷で職場から離脱できる
- ハラスメントや違法残業から自分を守る「自衛策」として機能する
- 弁護士型であれば法的請求もでき、泣き寝入りを防げる
特に、厳しい叱責や指導でうつ症状やパワハラ被害を抱える人にとって、「直接言えない」ことは弱さではなく、「言わせない」という企業側の実質的な壁であることも少なくない。命綱の一手として代行はありというのが賛成派の意見だ。
反対派の意見
その一方、退職代行には以下のような懸念もある。
- 上司や同僚との対話が断絶し、職場改善のフィードバックが得られない
- 引き継ぎが放棄され、現場の混乱や残された社員の負担が増す
- 繰り返し代行を使うことで「退職癖」がつく
- 転職先のリファレンスチェックでマイナスになる
企業側としては、採用・教育コストの損失、組織の信頼低下、SNSでの評判悪化など、影響は短期的にも中長期的にも無視できない。
この反対派の意見にも合理性はある。令和になってから会社が急に「辞めづらくなった」というわけではなく、平成までは存在しなかったサービスなので「使用者は単に自分が楽をして周囲の迷惑を顧みないから」という指摘は一部の人には該当するだろう。
結論、できるだけ使わない方がいい
賛成、反対両者の意見を総合して判断するに、筆者は「代行サービスの存在意義はあるものの、だができるだけ使用しない方が良い」と思っている。その結論を最初にいうと、「使用者がトータルで得をする文脈がないから」と考えるためだ。
このサービスは「退職」がゴールのように見えるが、実際には「長く勤務できる職場を掴む」ことではじめて成功と言える。だが、この退職代行を使うと、本人のキャリアデザイン上メリットは皆無だと思える。その根拠を取り上げていこう。
まず、業界というのは広いようでいて狭く、退職理由や経緯は何らかの形で次の職場に伝わることもある。転職先の面接官や現場担当者が以前働いていた会社の人間だったとか、自分のことを知っていたという話はどこにでもある珍しい話ではない。
また、前職の状況調査が最大の壁だ。筆者が転職活動を行った際、リファレンスチェックや経歴確認を受けた経験がある。特に外資系企業やグローバル企業はリファレンスチェックを行うことが標準的で、前職の上司や同僚からの推薦状や連絡を通じて、候補者の職務遂行能力や人柄を確認することが一般的だ。
幸い、自分は経歴詐称もしておらず、正規の手続きで円満退職していたため、問題視されることはなかった。
しかし、仮に前職を退職代行を利用してそこでリファレンスが入れば
「そんなブラック企業でしか働けなかったのか?」
「人間関係がこじれていたのか?」
「もしかして本人がトラブルメーカーでは?無責任な人間では?」
といった“痛くない腹”を探られる可能性もある。どれに該当するにせよ「退職代行を使った方が通常に退職するよりメリットがある」という文脈はないはずだ。
もちろん、精神的に限界で正常な判断すらできない状態にあるなら、退職代行は命を守るための有効な選択肢であることは否定しない。だが、そこまで追い詰められておらず、会社とまともな話し合いが可能な状況で、単に面倒くささや一時的な逃避行動で繰り返し代行を使うのは避けたほうがいい。
1社辞めた後もまた次の1社を辞める日が来る。その時のためにも、正規の退職手続きや、対話スキルを身につけておくことは、ビジネスパーソンとしての価値を大きく左右する。円満退職、も一つのスキルなのだ。
◇
退職代行は善でも悪でもない。それは「誰も助けてくれない」と感じたときに選ばれる手段であり、労働者の自己防衛として機能している。
退職代行が「特別なもの」ではなく、「使われなくていいサービス」になること。そこに、企業の変革と、個人のキャリア成熟の両方が問われている。
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