日鉄によるUSスチールの買収がきまりました。あれだけ揉めた買収劇で最後の決め手の一つが日鉄による将来にわたる投資金額の積み上げで2兆円(140億㌦)のコミットメントを行い、仮にそのスケジュールがずれようものなら黄金株を持つアメリカ政府が強制力を持って日鉄にそれを強いることになります。
トランプ大統領 ホワイトハウスXより
私はこの成り行きを見て自分がやったバンクーバーの開発事業と瓜二つの状態になったことで不安を感じないわけでもないのです。
私は1993年11月にバンクーバー ダウンタウンの大規模開発の土地用途変更の許可取得のための一連の交渉を全て完了させました。積み上げた市役所などを相手とする契約書は47本にのぼり、事業とは別に開発推進のコミットメントは64億円(当時)に及ぶものでした。そして47本の契約にある数々の開発者による工事から寄付金に至る義務が期限内に履行されない場合、土地に付保される一種の抵当権に基づき、市役所がその主導権を握るという条文が入っていました。
当時はまだゼネコンの海外子会社でしたので契約受諾は実質的な支配をする親会社の取締役会決議事項になります。私は会長と社長からの要請で東京に1泊3日で飛び、会長、社長に詳細を報告をします。大きな決断でした。会長は「ここまでやったなら推進せよ」でした。そして取締役会のキーパーソン4-5名に会合が始まる前に事前プレゼンを行い、根回しを行います。実際の会合では会長が全体を取り仕切り、承認を得たのでした。
ここまで聞いただけなら美談です。市役所に対するコミットメントは開発期間(約10年)に渡り徐々に行うものでしたが、面倒な約束事はなるべく後回しにしたのです。その開発途上で親会社が倒産し、私は一人放り出されるわけです。まだ数多くのコミットメントを残した状態で、であります。
ご縁があり、私がその開発会社を買収しましたが、当然、その残された責務は私一人が全部背負うことを意味しました。まぁ、普通ではありえないでしょう。無謀としか言いようがないのです。特に後廻しにした111戸7階建て低所得者住宅開発と47人収容の託児所建設は完成後の売り渡し価格が決まっており、利益ゼロか場合によってはマイナスになる事業なのです。資本力がない私が唯一全てを完成させる方法はただ一つのエラーもなく、完璧な仕事をすることでした。
しかしエラーは起きたのです。完成間近の25建てタワーの最上階の部屋で金曜日の夕方に水漏れ、そしてそれが月曜日朝まで気が付かなかったという痛恨のミスでした。(意図的な犯罪説はありました。)保険は下りますが、キャッシュフローが廻らないため、知り合いの商業不動産ローン会社から緊急融資枠数億円分を取り付け細い一本の紐を渡る形で完成に至りました。あの時は生きた心地はしなかったです。
日鉄の黄金株に私が懸念を示してきた理由は日鉄がいつまでも今の日鉄である保証はないのです。一方、コミットメントは長期間に渡るもので、業界や会社がどのような状態にあろうともそれを継続しなくてはいけないのは予見できないリスクであり、それは私が身をもって感じることであります。
報道ではポジティブな意見が多いのは机上の話では素晴らしいに決まっているからです。ですが、海外の事業はそんなに甘くはないのです。故に私がたまに話を持ちだすブリヂストンによるファイヤーストン買収は日本企業による海外事業買収で歴史に残る苦労であり、同じころに同じ北米にいた者として痛いほどわかるのです。それはのちに同社の社長になる石橋秀一氏が現地で大活躍した故の今であります。
またサントリーによるビーム買収も非常に苦労したケースです。あの場合、新浪剛史氏が10年に渡る死闘とも言えるべく熱意と努力で勝ち得たものでした。
こう見ると海外買収では必ずとてつもない苦労を伴うことが多く、それを切り抜けるのは圧倒的な情熱を持つ個人の才能にかかってくるとも言えるのです。その背景は海外では経営戦略はトップの指導力が全てであり、日本側がその人に全権委任できるかにかかっているとも言えます。
言い換えると日本企業が今まで海外事業買収で数多くのヘタを打ったのは海外事業の戦略と判断を本社が握り、現地の人に権限を与えなかったことがあるし、一方、権限を持って現地で八面六臂の働きが出来る人材もなかなかいないことが理由だと思います。
私がしきりに国際人養成というのはそういう背景も踏まえての話なのです。日鉄はここまで来た以上、エースの中のエースを10年、USスチールに放り込む覚悟で臨んでもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年6月16日の記事より転載させていただきました。