長崎でかつて炭鉱があり廃墟となった島というと、多くの方は「端島」、別名「軍艦島」を思い起こすと思います。小さな島に炭鉱施設とコンクリート製の集合住宅がひしめき合い、日本最大級の人口密度と生活水準の高さを誇ったものの炭鉱の閉山ですべてが打ち棄てられ廃墟と化した島。外から見たときの軍艦のような様相も相まって長崎の観光スポットの一つとして人気を博しています。
実はそのような歴史をたどった島は端島だけではありません。長崎市の最北部、外海(そとめ)地区の沖に浮かぶ池島もそのひとつでした。ただこの島は完全な廃墟ではなく、今もわずかながら人が住んでいます。今回はこの池島の今をご紹介したいと思います。
長崎駅前から長崎バスに乗って桜の里バスターミナルで下車。そこからさいかい交通のバスに乗り換えて港のある神ノ浦(こうのうら)で下車します。2台のバスに計1時間半ほど揺られる結構長いバス旅です。
ここからフェリーに乗って目的の池島を目指すのですが、なかなか大きな船。神浦港からは1日2往復フェリーが出ていて車の輸送も可能です。このほかに西海市の瀬戸港からも1日4便のフェリーが出ています。
神浦港に池島の人口動態が掲示されていたのですが、6月1日現在の人口は91人。炭鉱が全盛を迎えていた昭和45年には7000人の人口を擁していました。しかしながらエネルギーの石油への転換とともに日本の炭鉱は次々と閉山。池島は最後まで炭鉱が稼働し続けましたがそれも平成13年で閉山となり、これに伴いほとんどの人が島を離れてしまいました。
10:30にフェリーは神浦港を離れゆっくりと池島に向かって進んでいきます。神浦港からも島の姿は望めたのですが、徐々にその姿が大きくなってきました。島の左手、小高くなった丘の上に人工物が見えますが、これはかつて炭鉱で働いていた人たちが住んでいた団地群です。
25分ほどフェリーに乗って池島港に到着します。港の近くには団地がありました。この団地だけで100人以上は優に住めるはずなのですが島の総人口は91人。それでもここは若干の人が生活しているようです。
港からは先ほどフェリーから見えた高台の団地方面に向かうコミュニティバスバスが出ています。歩いても30分くらいで行けるのですが、暑くてしんどそうなので100円払ってお世話になることにします。
バスに乗って10分もかからずに神社下バス停で下車します。ここがコミュニティバスの終点なのですが、その目の前には驚くべき光景が広がっていました。
かつては多くの炭鉱で働く人とその家族が暮らしていた巨大な団地の跡。今は打ち棄てられてだれも住んでいません。2000年代まで人が住んでいたとは俄に信じがたいです。
かつては人が通っていただろう上層階部分の渡り廊下。
羊羹型の団地が多い中、この棟はデザイン性が高く、建物の規模も大きいのが特徴。
この団地のすぐ近くには池島小・中学校があります。かつて7000人の人口を抱えたころには多くの子どもたちがここで学んでいたと思われますが、今の生徒数は3人。3人でこの規模の建物で学ぶのは生徒たちにとっても寂しいことでしょう。
鬱蒼と茂る蔦に埋もれる旧団地。30年前まで人がここに住んでいたとは俄に信じがたい。
もとは何だったの、この建物…。
池島の高台のエリアには多くの団地が密集しています。ただ建物の殆どは完全な廃墟。この時期になると蔦の葉が団地を飲み込んでいきます。人のいなくなった島が自然に還ってゆく。そんな姿を目の当たりにします。
団地の中にはいくつかの公園があります。かつては多くの子どもたちがここで遊んでいたのでしょうが、先述の通り今の島の児童数は3人。公園も荒れ放題でここで遊ぶ人はいません。
家に風呂がなかった家も多かったようで、このような公衆浴場の跡がありました。給湯管の跡もあってここから湯が配られる棟もあったようです。
緑が生い茂る寂しい道の中に黒猫がいました。
ここの野良猫は人慣れしているようで近づいても逃げることはありません。ただみんな痩せていてあまり元気がない。人が少ないためかエサに恵まれていないようです。
それでも猫の数はたくさんいて、そばを通るたび「エサ、ないの?」という目で見つめてきます。
こんな子猫なんかも。逞しく生きるんだぞ。
廃墟ばかりと言ってきましたが、このように団地の脇に車が止まっています。
数は少ないですが状態のいい団地は残されていて、まだ一部の方がここに住み続けています。
91人の方の生活を守るため、簡易郵便局は今も現役。
自販機の商品ラインアップがちょっと寂しい。
また、島で唯一の宿泊所、池島中央会館も営業を続けています。
レストランモナーク跡。
ボウリング場まであったようです。
郵便局や宿泊所のある通りはかつての池島の目抜き通りでした。通りには商店街があったのですが、そのすべてが今は営業を終了していて廃墟と化しています。
団地から港に向けて丘を下っていきます。団地にいるときは海が見えなかったのですが、ここでようやく美しい角力(すもう)灘の景色を見ることができ、ここが島だったことを思いださせてくれます。
団地から港に向かって下りていくにつれ、炭鉱跡が視界に入るようになります。池島に住む人たちの生活のすべてだった鉱山。エネルギー革命の荒波に抗うことができずに打ち棄てられるに至ったその姿を見るにつけ切ない気持ちになります。鉱山で働いていた人たちの無念ぶりはいかほどだったでしょうか。
旧鉱山の施設の前にはヤギがいました。ヤギは鬱蒼と茂った草を食べてくれるのでなかなか重宝しているようです。
笑顔でまた来いよ、と言ってくれる。
かつて人口7000人を擁し、多くの鉱夫が働いていた池島。今は人口91人となりその華やかだった時代を知る人は少なくなりましたが、それでも無人化せず今もこの島で懸命に生きようとする人たちがいます。エネルギー革命に翻弄された池島の姿を見に来てもらいたいものだと感じながら、島を離れました。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年6月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。