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オープンキャンパスでの説明にジェンダーバイアスと批判
横浜国立大学が2025年6月21日に開催したオープンキャンパスで行われた理工系学部「女子枠」に関する説明で、担当者からジェンダーバイアスを助長しかねない発言があったとして、SNS上で波紋が広がっている。
大学側は筆者の取材に対し、発言の事実確認は現時点でできていないとしながらも、指摘されている内容が大学の公式見解とは異なるとの見解を示した。
理工系分野での女性比率向上を目指す「女子枠」導入の理念が、入試広報の最前線で十分に共有されていない実態が浮き彫りになっている。
「ふにゃふにゃしたロボット、女性が思いつくかも」
発端となったのは、X(旧Twitter)に投稿された説明会参加者によるポストだ。
投稿によると、女子枠の説明の中で担当者は「ロボットと言われて思い出すのはガンダムとか、ガンダムは間違いなく男の物ですよね?ふにゃふにゃしたロボット、こういうのを女性が思いつくかもしれないですよね」という趣旨の発言をしたという。
この投稿は広く拡散され、「あまりにもステレオタイプな男女観だ」「多様性を重視する大学の方針と矛盾している」「女子枠の趣旨を全く理解していない」「女子枠は差別」などといった趣旨の批判的な意見が相次いだ。筆者が同説明会に参加した別の学生にも確認したところ、同様の発言があったことを認めた。
多様性目指す大学方針と現場の乖離
この発言が事実であれば、横浜国立大学が女子枠導入に際して掲げる理念とは大きくかけ離れている可能性がある。
同大学が女子枠導入を発表した際の資料では、その目的を「持続可能で多様性に富んだ社会の実現に資する人材育成を目的」とし、「性別を含む多様な価値観の参画が研究開発の質の向上や新たなイノベーション創出につながる」と明記している。
広報担当者「公式見解と異なる」
筆者の電話取材に対し、横浜国立大学の広報担当者は、現時点(6月23日12時頃)で発言の事実確認はできておらず、対応の有無についても未定、と前置きした上で、「ご指摘のような発言があったという一部報道は把握しております」と回答。「『ガンダムは間違いなく男の物』『ふにゃふにゃしたロボットを女性が思いつくかもしれない』という考え方は、本学の公式見解とは異なります」と明確に否定した。
さらに、「本学としては、多様な考え方をもっている方を増やしたいというのが基本的な考えです。ガンダムのようなロボットを考案する女性もいれば、ふにゃふにゃしたロボットを考える男性もいると考えております」と述べ、大学が目指す多様性の本質を強調した。
大学の公式見解とは異なる説明が、未来の学生に向けたオープンキャンパスという重要な場でなされてしまった可能性が高い。
公平な大学入試の実現に向けた活動を行う学生団体「UTokyo Students For Fair Admissions」代表の日高氏に、広報担当者の説明を共有し見解を求めたところ「ガンダムのようなロボットを考案する女性もいれば、ふにゃふにゃしたロボットを考える男性もいる、というのであれば、男女問わず多様な考えを持つ人物を推薦入試で選抜すればよく、受験資格を女子に限定する必要はないのではないか」と指摘した。
「なぜ女子枠か」理念共有に課題
今回の発言は、理工系分野での多様性向上という女子枠の趣旨とは裏腹に、旧来の固定的ジェンダー観に基づいた説明がなされてしまった可能性を示唆している。しかし、問題は一担当者の不適切な発言に留まらない。そもそも「なぜ女子枠なのか」という制度の正当性そのものと、その導入手法にもより深い課題が横たわっている。
複数の研究によれば、米国やEU諸国では、大学入学者選抜における固定的な性別クオータ(割当制)は「違法な性差別」と見なされるのが一般的だ。
米国では半世紀近く前の1978年の判例で既にクオータ制が否定され、EUにおいても、大学入試での性別クオータには否定的な見解が主流である。オランダのデルフト工科大学の事例は記憶に新しい。
置き去りにされる「真の多様性」
理工系分野における女性比率の低さは事実である。しかし、その一点のみを理由に「女子」という単一の属性を優遇する現在の方式は、真に多様な環境の実現という目的から乖離しているとの指摘がある。ある研究では、性別だけでなく、経済的に困窮する家庭の生徒や、教育機会へのアクセスが困難な地方出身者など、より深刻な障壁に直面している層への配慮が不十分であると論じられている。
実際、国の調査研究では、世帯収入が低い高校生は、進学費用の負担を避けるために都市部の私立大学や理系学部への進学を断念する傾向が示されている。また、保護者から進路について性別を理由とした干渉を受けた経験を問う内閣府の調査では、20代においては男性の方が女性より有意に多く干渉を経験しているという結果も出ている。
真に多様で公正な教育機会を提供し、多様性を実現するためには、「女子」という一面的な属性だけでなく、経済的背景、地域格差、あるいは両親が大学を卒業していない「大学第一世代(ファーストジェネレーション)」といった、複合的な困難やマイノリティ要素を抱える受験生を多角的に評価する視点が不可欠だ。
米国では、人種だけでなく、出身地域の犯罪率や貧困レベル、家庭環境など15の指標を統合した「逆境指数(Adversity Score)」や「総合評価(Holistic Review)」を用いて学生の逆境や多様性を評価する試みも存在した。
例えば、「都会の私立中高一貫校に通う富裕層の女子」と「離島の公立高校に通う貧困層の男子」が居た時に、理系学部であろうと、明らかに後者に対するアファーマティブアクションの要請が高く、また、大学に多様な視点を持ち込むことに繋がる可能性が高いが、「女子枠」のようなクォータは後者を一方的に排除してしまう。複数指標を用いる入試方式であれば後者の加点幅は前者より大きい。
求められる本質的な議論
今回の一件で明らかになったのは、現場の担当者の認識不足という問題だけではない。なぜ「女子」という一つの属性だけが、特別な配慮の対象となるのか。その問いに、社会が納得できるだけの十分な説明が果たされているとは言い難い。
真に多様な学生を迎え入れるのであれば、その人の性別だけで判断するのではなく、経済的な状況や育った地域、家庭環境といった、一人ひとりが抱える本質的な困難さに目を向けた支援こそが必要なのではないだろうか。
大学には、場当たり的な女子枠導入ではなく、社会全体が納得できる丁寧な説明と制度設計が求められている。
【参考文献】
- Affirmative action in Japanese higher education: A critical examination of DEI implementation
- 米国判例の変化と日本への示唆:STEM分野のアファーマティブ・アクションとDEI