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率直に申し上げて、陰謀論はオワコンだ。
DSだとかフリーメーソンだとかイルミナティだとか、現代は陰謀論華やかなりし時代だが、物好きの期待に反して日に日に廃れているのが実態ではなかろうか。
と言うのも、大衆が陰謀論でときめく時代は終わりを迎え、ときめきを持って探求する分野は無くなってしまった。
その究極の姿がAIだ。
AIは残酷で、知りたいと思わないものまで教えてくれる。知りたいと思ってないことを教えてくれることで、人間に根源的に備わる探究心の大部分は興味を失う。
陰謀論についてAIに聞くと、「陰謀論」というカテゴライズされたものとして、陰謀論界隈の現在を教えてくれる。
見方を変えると、AIは小説や伝承、物語、昔話の類として陰謀論を捉えているとも言えるだろう。
陰謀論なんてものは、その秘密が隠されているからこそ、探究心をかき立てるし、世界の秘密を自分は知ってるという優越感を持つことが出来るのだ。
一方、自分しか知らない世界の秘密なんてものはないし、例えば政治家や有名人が本気で陰謀論を説いてる姿を見聞きすると、誰もが少し悲しい気持ちになることはないだろうか?それは、既に伝聞として実しやかに囁かれている話の中身を、秘密の暴露であるかのように耳元で囁かれたとしても、誰もが「そんなことは知ってるし、誰も実際に証明した人はいないよ」と評価するしかないからだ。
誰かが「それ、知ってるよ」と言った時点で、或いはAIが何らかの答えを出した時点で、「自分しか知らない世界の秘密」は、「自分しか知らない世界の秘密」として存在しないものになってしまう。
AIとは、質問者の意図に合わせてビッグデータの中から質問者の意図に見合う回答を見つけ出す。質問者が細かく聞けば細かく答えるし、大雑把に聞けば大雑把に回答する。以前、拙稿で指摘したように、AIとは究極の自分の写し鏡とも言える。
そして、AIを評価する上で忘れてはいけないのが、AIはある種の残酷さを伴っていることだ。AIは質問者に対して正直にありのまま評価と現実を突きつける。巨大なデータコンソールとして現実をありのままに見せる正直さがAIには、ある。
AIとやりとりをしてると、まるでチャットで誰かと会話してる気になってくるが、AIは質問者を否定することはない。必ず、質問者の意図を肯定し受認しそれに見合う回答を整理して提供してくれる。徹底して質問者の味方であり、徹底して質問者をサポートしてくれる。
SNSはエコーチェンバー現象が起きやすいが、AIはまさに究極のエコーチェンバーとも言える。
ところがSNSのエコーチェンバーとの違いは、AIはビッグデータを元に、合理性と実際のデータに基づいた回答の為、質問者の意図を汲み取りつつ、事実を突きつけることにのみ、徹底的に拘る。
そして、このAIが突きつける現実こそが誰もが持っている陰謀論への夢を見事に打ち砕く破壊力を持っている。陰謀論にとって最も大事な客観性のある存在証明の不在を否定する。
存在証明が出来ない、或いはその存在証明自体が曖昧さを伴うからこそ、陰謀論は陰謀論として屹立していられるのに。
陰謀論は存在すると言う証明を誰も出来ないから陰謀論なのであって、AIは網羅的に陰謀論で言われる言説がある前提で説明するし、説明しようと努力する。言い換えれば、「確たる証明がなされていないと言う証明を行っている」のだ。これ、凄く大事な点だと思う。
陰謀論大好きな人は、陰謀論の中身について、少し合理的な解釈をする必要があるだろう。陰謀論を信じている自分は、「私しか知らない、或いは私のような人しか知らないこと」を信じることで自己自身の存在理由にしてると思うけど、誠に残念だが、あなたが信じる世界の陰謀論は「陰謀論」である時点で、その存在は証明されないことが証明されていると解釈すべきではなかろうか。
つまり、陰謀論界隈にとって、陰謀論は身も蓋もない存在と言えまいか。
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以後、続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。