日本とカナダでビジネスをしていて思うのはフレキシビリティ(柔軟性)の相違。そして私が数々行うビジネスの基本はフレキシビリティ、つまり顧客へのカスタマイゼーションであります。
数日前のニュースをバラパラ読んでいたところ、面白いことに気がつきました。世の中、枠から一歩踏み出す力がなさすぎるケースが多すぎると。その1が中野サンプラザ再開発頓挫の理由が報じられており、野村不動産が自社の計画推進をひたすら頭を下げ、押し付けたことだと。その2が日本の防衛装備品輸出が過去10年で1件しか成約していない理由に相手国の仕様変更要請に対する頑なな拒否、その3が森山幹事長が財源がないことを理由に「消費税を守り抜く」という発言で、世論の声に対して代替案を考えようとする姿勢すら見せなかった報道です。
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これらのニュースに限らず、私が日本でビジネスなり一般消費者として様々な交渉やお願いをしても交渉の余地はほとんどありません。ルールに縛られているのです。というよりルールや会社の方針を逸脱すると会社からお目玉が来るからなのですが、その会社方針とは誰がどうやって決めたのかといえば「上だよ」としか答えられないわけです。それでは会社の管理職諸氏は失格ではないでしょうか?ルールや決まりは時代と共にどんどん変わるものであり、不変の事実ではないのです。
私の東京のシェアハウスの運営は面白いケーススタディです。日本人の住民で時折生じる賃料不払い。主な理由は退職に伴い収入が無くなったこと。その場合、ご退去願います、と言ってもよいのですが、私は話し合いをしてその方の再生プランを作り、半年から1年かけて未払い賃料の回収をします。これは入居者にも非常に感謝されるし、私も取り損ないが生じないのです。
私が東京のシェアハウス事業で常時空きがなく展開できるもう一つの理由は外国人の顧客対応が柔軟だからかもしれません。顧客は欧米や中国、韓国のみならず、南米から中央アジア、ロシアまで極めて広範囲にわたります。それぞれお国柄や社会制度、宗教的背景などから独特の生活習慣がある一方、シェアハウスという日本型のルール区切りは正直、溶け込みにくいという経験上の結論付けをしました。
そこで外国人向けサービスアパートメントをバタバタと作り、更に一般アパートの一部も外国人向けに改良するなどして戸数を増やしました。外国人の要望は非常に明白、且つ時として妥協を許さないのです。それに対応する最善策はサービスのカスタマイゼーションしかなかったのです。私が日本滞在中に対応した顧客はフランス、イタリア、アメリカ、アルゼンチン、韓国、中国が2件で入退去以外だけでなく様々な問題などに対処したのですが、全部、手を変え品を変えでうまく立ち回りました。
別に私が海外生活が長いからだけが理由ではありません。カナダで「聞くチカラ」と「問題解決するチカラ」を学んだのだと思います。日本人の「あるある」に頭でわかって実行が伴わないケースがあります。担当ベースではわかっているのに会社のルールの壁に打ち返される、テニスの壁打ちのようなものであります。私の場合はその壁が衝撃吸収バンパーみたいなものなので壁打ちしても玉は形を変えることができるのです。
人は年齢を重ねると頑固になる傾向が強くなります。私もそこに一番気をつけており、20代30代という若い世代の方がクライアントの主流の中、自分の考えを強く押し付けず、世の中の変化や常識観、発想の転換をもっと先読みして先回りするぐらいの心構えをしています。私が次々と新しいビジネスに挑戦するのはその度に童心に戻り、ゼロスタートを切ることができることもあります。日本でよくいらっしゃる「この道40年のプロ」は自信の塊で信念を持つ一方、頑なな姿勢を示します。例えば私が懇意にしている不動産屋の担当にも最近は会わないことが増えたのは「会っても同じことを言われるので時間の無駄」であるからです。その方は確かに仕事はできるのですが、情報を取捨選択してしまっているので話をしても面白くないのです。
業務にフレキシビリティを持たせるのは日本の社会では極めて難しい課題だと思います。それは個々人が個性を出してしまうと会社のブランドが崩れるリスクがあるからです。顧客からみて「あそこなら安心」という一定の信頼感を作り上げることでビジネスが成り立つのですが、個性は時としてビジネスの改善になることもあればマイナスになることもあります。
かといって優秀な社員をロボットのようにくぎ付けで縛り上げてしまうのもどうかと思うのです。大阪王将という餃子を中心とした中華レストランチェーンがありますが、ここは店長の采配でグランドメニューとは別に店ごとにオリジナルがあります。これなどはフレキシビリティの好例でしょう。
世の中の移り変わりは激しく、昨日の常識は今日の非常識にすらなりかねません。裁判で法律にこう書いてあるという主張は最近は通じず、判例が判断基準となり、裁判もケースバイケース。つまり法律で守らえているという時代ではないのです。トランプ氏が剛腕の主張を繰り返すのも社会秩序のロードマップを変えようとしているからでそれが国際世論や国際法、国内法に違反していようがグレーゾーンであろうがお構いなしなのは時代遅れの成文化された法律ではもはや対応できない時代にあるとも言えないでしょうか?
フレキシビリティある社会とはそういう社会背景も大いにあると思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年7月7日の記事より転載させていただきました。