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東京商工リサーチによると、2024年度の経営コンサルタント業の倒産は151件と、2005年に集計を開始して以降、過去最多を更新したという。
物価高や人手不足によるコスト削減の波、AIやネットの普及による情報の無料化といった社会的な背景があるにせよ、経営現場では「経営知識なんて意味がない」という声も目立つ。知識より現場での実践こそが重要なのであり、机の上で考えてばかりの人間はもういらない、ということだ。
特に中小企業でこの傾向はより強い。「本に書いてあることより、うちの現場のほうがリアルだ」と、成果に直結しない理論や理屈を拒否したくなる気持ちは理解できる。しかし本当に、経営知識は現場に不要なのだろうか。
私はそうは思わない。知識は単なる理論ではなく、現場で使われてこそ力を発揮する。現場か知識かの二者択一で考えるのではなく、知識を武器として現場に出ることが重要なのだ。
この記事では、中小企業診断士の立場から、経営知識が現場で役立つ本質的な理由を3つの視点から整理してみたい。
仮説生成装置としての経営知識
まず、経営知識は問題に対して「何を問い直せばよいか」を示してくれる。つまり、現場での判断や行動の前提となる仮説を立てる力を与えてくれる。
たとえば、求人を出しても人が来ない。これは多くの中小企業が抱える悩みだろう。このとき「とりあえずハローワークでまた出してみよう」「給与を少し上げてみよう」など、知識がないと対策がその場しのぎになる。
しかし、採用の構造を知っていれば、何を確認すべきかという問い、つまり仮説が生まれる。
採用マーケティングで使われる採用ファネルという考え方がある。これは、応募までのプロセスを次の5段階で捉える視点だ。
- 認知:求職者が会社の存在を知っているか
- 興味関心:仕事内容や待遇に魅力を感じているか
- 比較検討:他社と比べて選ぶ理由があるか
- 応募:応募フォームや方法が複雑すぎないか
- 選考通過:面接や提示条件に納得感があるか
この知識があると、どの段階で求職者が離脱しているか?という問いを立てることができる。仮説が立てば、対策も具体的になり、行動に狙いとスピードが出てくる。
星野リゾートが教科書通りの経営を行う理由
星野リゾートは教科書通りの経営を行う企業として有名だ。
同社が再生を手がけた島根県の老舗旅館「華仙亭有楽」では、かつて団体客をメインに据えた中価格帯ビジネスを展開していた。しかし、観光業界の構造変化とともに稼働率が低迷し、固定費をまかないきれず経営が行き詰まっていた。
星野リゾートが採った戦略は、団体を切り捨て、個人の高付加価値客層に集中するという思い切った方向転換だった。
これは偶然のひらめきではなく、マイケル・ポーターの「集中戦略」という経営理論に基づいた仮説である。市場を広くとるのではなく、価値を感じてくれるセグメントに絞り込み収益性を高める。教科書的な戦略論に立ち返り、それを自社に当てはめることで、大胆かつ妥当性のある方向性を見出すことができたのだ。
結果として客単価は劇的に上昇し、団体対応に必要だった料理人の夜勤や、会場整備コストなどの固定費も不要になり、収益性は大きく向上した。
星野佳路社長はこの判断の背景をこう語る。
『囲碁や将棋の世界に定石があるのと同じように、教科書に書かれている理論は経営の定石である』
『教科書通りに判断したにも関わらず成果が出ない時がある。しかし、それでも最初の一歩としては正しく、そこから戦術を調整すればいい』
引用:『星野リゾートの教科書 サービスと利益 両立の法則』 中沢康彦 日経BP
つまり、教科書の理論は完璧な正解ではない。だが、迷ったときどちらに進めばいいかについての仮説を与えてくれる。
そして、現場で実践を重ねる中で、定石を調整し、現場仕様に最適化していく。この知識と実行の往復運動こそが、星野リゾートの改革の源泉である。
経営知識は、人や勘に頼らない意思決定の礎となる
また、経営知識があることで、人や勘に頼らない意思決定ができるようになる。
以前、私は小売業の経営者から「在庫が多すぎて、現金が寝てしまっている気がする」と相談を受けた。私はまず、在庫発注のルールがあるかどうかを確認した。すると、この会社には在庫発注のルールはなく、現場任せで「なんとなく」の感覚に頼って発注を行っている状況だった。
ここで活きたのが、製造業で使われる在庫管理の知識で定期発注と定量発注という仕組みだ。定期発注は、毎週決まった曜日に一定量を補充する方式。定量発注は、在庫が一定の水準を下回ったときに、あらかじめ決めた数量を発注する方式だ。
これらの考え方を販売データに合わせて整理し直すことで、在庫が適正化された。キャッシュフローは改善され、欠品も減少した。人や勘に頼らない仕組みを作ることができたのだ。
日本電産永守氏のことば
日本電産の創業者であり、伝説的経営者の永守重信氏は高専卒の技術者出身でありながら「経営は学問である」と断言し、自ら京都先端科学大学に私財を投じて経営学部を設立した。そこでは、実学としての経営理論を教えることに重きを置いている。
そんな経営知識を重視する永守氏の信条も「勘と根性では、経営の限界が来る」だ。
売上・利益・人材・品質といった複雑な経営課題を、感覚だけで処理し続けることは不可能だと理解している。だからこそ、経営者は仮説の持ち方、因果の整理、意思決定のための型を持たねばならない、と。
たとえば、日本電産では品質トラブルが起きた際に、なぜこの現象が起きたか、を構造で分析し、PDCAの理論通りに検証・再発防止策を講じる仕組みが定着している。これは、知識を教科書ではなく、組織文化としての思考の習慣に落とし込んでいる。
永守氏の経営姿勢は、経験と知識の融合にある。現場を知るからこそ、知識が生きる。知識があるからこそ、現場の精度が上がる。そのことを、身をもって体現している経営者である。
経営知識は発想力の源泉となる
さらに、経営知識は発想力の源泉となると言える。経営の現場では課題が複雑化しており、経験だけでは対応しきれない場面が多い。そんなとき、異業種の知識が代替案、別の視点として武器になる。
たとえば、ある飲食店で人手不足が深刻になったとき、人を増やす以外の打ち手が思いつかず困っていた。
ここで製造業の業務標準化や動作分析の知識があれば、どの作業がムダか、動線をどう短縮できるか、などの発想が自然に出てくる。さらに、セルフオーダーシステムや、券売機といった仕組みを導入する案も出てくる。
このように、知識が多いということは、発想の引き出しが多いということ。現場で起きた問題に対して、別の角度から見る力が高まるのだ。
先ほど触れた在庫管理を改善した話も、飲食店に製造業の考え方を持ち込んだことで成功した例だ。
現場と知識をつなぐ大切さ
ここまで、仮説を立てる、人や勘に頼らない意思決定、発想力の源泉と、経営知識の持つ3つの側面を考えてきた。総じて重要な点は、知識が生きるかどうかは、現場に持ち込んで使えるかどうかで決まるということだ。
そのためにまず必要なのは、とりあえずやってみることだ。完璧に理解してから使うのではなく、教科書通りにまず試す。そこから微調整すればいい。
これは星野リゾートの現場改革のスタイルでもあり、実行と修正の繰り返しによって知識を現場仕様に変えていくアプローチである。
また、知識は正解ではなく問いのきっかけとして活用すべきだ。採用ファネルの例など、問いを細かく分けられるかどうかが、打ち手の精度を分ける。
知識は、現場の勘や経験と対立するものではない。むしろ、経験と勘を補強する裏付けとして機能する。
経営者自身が知識と現場をつなげる係になる
では、実際に知識を経営にどう取り入れるべきか。答えは、学びながら動く文化をつくることにある。
大げさなことをする必要はない。たとえば、経営者が最近知った理論を会議で一つだけ共有してみることからでいい。
「在庫回転率って言葉知ってる? 売れてる商品ほど、たくさん持っていいって意味らしいよ」
そんな一言が、現場の意識を変える最初の火種になる。
重要なのは、知識を押し付けないこと。「これをやれ」ではなく「こういう考え方もある。試してみようか」と問いかけることで、現場と一緒に考える姿勢が伝わる。
知識は上から投げるものではなく、一緒に混ぜていくものだ。経営者自身が知識と現場をつなげる係になれば、組織の動き方が変わる。
現場に知識を根づかせるとは、つまり経営に再現性を持たせることに他ならない。
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濵口 誠一 中小企業診断士
従業員2万名の企業から10名の企業まで、約20年経営企画に従事し1000件以上の事業計画を策定。現在は中小企業診断士として経営戦略から実行支援まで行う。言語化・数値化を得意とし「話しているだけで悩みが解決した」「目標が従業員に伝わるようになった」という評価多数。
公式サイト:https://billion-break.com/
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編集部より:この記事は「シェアーズカフェ・オンライン」2025年5月21日のエントリーより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はシェアーズカフェ・オンラインをご覧ください。