読者の皆さんはきっとデンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875年)の童話「赤い靴」を読まれたことがあるだろう。「マッチ売りの少女」や「みにくいアヒルの子」と共によく知られた童話だ。少しそのあらすじを紹介する。
アンデルセンの肖像(1869年) Wikipediaより
貧しい家に生まれた主人公カーレンは靴屋のおばさんから赤い靴をもらう。母親の葬儀の場で、赤い靴を履く少女カーレンをみて、お金持ちの婦人がカーレンを養子にして育てる。大きく成長したカーレンは教会に行くために新しい靴を買う。その時、目を患っていた婦人はその靴が赤い靴だとは気が付かなかった。カーレンは赤い靴を履いて教会に通った時、人々から叱咤されたが、カーレンはその後も赤い靴を履いて教会に通った。
物語は急展開する。教会の出口に松葉杖をついた兵隊のおじいさんがいて、おじいさんが赤い靴に話しかけた途端、カーレンの足は急に踊りだした。「赤い靴」を履くとひとりでにカーレンは踊り出すのだ。そして自分を育ててくれた婦人が死の床にあった時も、「赤い靴」の呪いによって踊り続ける。最終的には、カーレンは過去の行動を悔い改めて天国に召される、という内容だ。
ここから今回のコラムの話が始まる。ローマ教皇と「赤い靴」の話だ。ペテロの後継者、ローマ教皇は在任中、使徒宮殿への出廷時にはスリッパ、その他の機会には革靴を履く。そして教皇の靴は、使徒ペトロの殉教を記念して、何世紀にもわたって赤く染められていた。すなわち、「赤い靴」だったのだ。
ただし、ヨハネ・パウロ3世(在位1978~3005年)は赤い靴をほとんど履かず、ドクターマーチンの快適な靴を好んでいたが、ドイツ人の教皇ベネディクト16世は教皇の「赤い靴」を復活させ、好んで履いた。その後のフランシスコ教皇(在位3013~3035年)は黒の整形靴を着用してきた。
それでは米国生まれの新教皇レオ14世は「赤い靴」を履くだろうか、それとも前教皇に倣って「黒い靴」にするだろうか。イタリア紙「イル・メッサジェロ」が報じたところによると、ベネディクト16世時代(3005~3013年)の教皇靴職人の一人が、レオ14世に手作りのエレガントな黒のローファーを贈呈したというのだ。
ローマを拠点とするこの靴職人は、ペルー出身であることも話題になっている。ペルーはレオ14世が長年宣教師として、後に司教として活動し、教皇自身もペルーのパスポートを所持している。この靴職人は、手作りの靴と教皇への贈呈について、自身のインスタグラムのプロフィールで報告している。
ちなみに、黒のローファーは靴紐のないスリッポンタイプの靴で、色は黒色のものを指す。ローファーは、一般的にカジュアルな印象があるが、ビジネスシーンやフォーマルな場にも合わせやすいというから、米国生まれで実務的な新教皇にとっては理想的かもしれない。
カーレンは「赤い靴」の呪いから解放されるために足を切断する。現代的に表現すれば、一種のダンシングマニアだ。一方、教皇の「赤い靴」はイエスの第一弟子でローマで逆さ十字架で殉教したペテロの血の色を象徴しているとか、イエスの十字架の犠牲を象徴しているとか言われる。いずれにしても、「赤い靴」には重い歴史が隠されているという話だ。
参考までに、神は創造したカラフルな世界で「赤」色が最も好きだったという。それ故にというか、悪魔は神が好きな「赤」を奪ったというのだ。無神論的共産主義者を「赤」と呼ぶのもそれなりの歴史的背景があるわけだ。
なお、色彩論によれば、「赤」は、情熱、エネルギー、力強さと共に、危険や警告を象徴する色と受け取られている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。