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「靴下は白でなければならない」
「ツーブロックの髪型は禁止」
「下着の色は白または肌色に限る」
こうした校則を耳にするたび、多くの大人たちは首をかしげることでしょう。なぜ学校は、これほどまでに生徒の外見に介入し続けるのでしょうか。
実は、これらの「変な校則」には共通する背景があります。それは学校が抱く「安全への過度な配慮」と「管理のしやすさへの執着」です。
「なんで学校は変なの? 教員の父に教育実習生の娘がストレートな質問!」(津久井聖志 著)新評論
「生徒を守る」という名目の落とし穴
2020年の都議会で、ツーブロック禁止について問われた教育長は「外見などが原因で事件事故に遭うケースがあるため、生徒を守る趣旨から定めている」と答弁しました。この発言は瞬く間に批判の的となりましたが、実はこの論理こそが多くの理不尽な校則を生み出す温床なのです。
髪型や服装が事件の原因になるという発想は、根本的に問題の所在を見誤っています。事件や事故の原因は外見ではなく、社会の安全対策や教育の不備にあるはずです。しかし、学校は「見た目を統一すれば安全」という短絡的な思考に陥り、生徒の個性や権利を制限することで問題を解決しようとします。
さらに深刻なのは、学校が新しい流行に対して常に「禁止」で対応する体質です。生徒たちが新しいファッションや髪型を取り入れ始めると、学校は反射的にそれを規制しようとします。ツーブロックが良い例ですが、校則に明記されていない事柄でも「高校生らしく端正清潔に」という曖昧な表現を根拠に禁止が決定されるのです。
この「曖昧な表現による包括的規制」こそが、校則の恐ろしい側面です。具体的な基準がないため、教員の主観や学校の方針によって解釈が左右され、生徒は常に「これは大丈夫だろうか」と不安を抱えながら学校生活を送ることになります。
対話の欠如が生む理解不足
なぜこうした状況が続くのでしょうか。最大の原因は、校則制定における対話の欠如です。多くの学校では、校則は「大人が決めるもの」という前提のもと、生徒の意見を聞くことなく一方的に制定されます。生徒が疑問を呈しても「校則だから」の一点張りで、合理的な説明がなされることはほとんどありません。
また、保護者との対話も不十分です。学校は「教育的配慮」や「安全のため」という大義名分を掲げますが、その根拠や効果について具体的に説明することは稀です。結果として、保護者は学校の方針に疑問を抱きながらも、子どもの学校生活に支障をきたすことを恐れて声を上げることができません。
本当に必要な校則とは何か
「変な校則」をなくすためには、まず学校現場での意識改革が必要です。校則は「生徒を管理するためのツール」ではなく、「より良い学校生活を送るための共通理解」であるべきです。そのためには、生徒、保護者、教員が対等な立場で校則について話し合い、合意形成を図ることが不可欠です。
教育の目的は画一的な人間を作ることではなく、多様な個性を持った人材を育てることです。校則もまた、その理念に沿ったものでなければなりません。今こそ、学校現場は勇気を持って変化に向き合う時なのです。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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