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「パパ、なんでツーブロックは禁止なの?」――教育実習中の娘からの率直な疑問は、長年生徒指導を担当してきた著者にとって、まさに盲点を突かれた瞬間でした。学校では「厳しい先生」として通っていた著者が、家庭では娘の容赦ない質問に答えられずにいたのです。
この体験は、校則を巡る現代の深刻な問題を浮き彫りにします。教員も保護者も「子どものために」という同じ思いを抱いているはずなのに、なぜ校則については理解し合えないのでしょうか。
「なんで学校は変なの? 教員の父に教育実習生の娘がストレートな質問!」(津久井聖志 著)新評論
教室と家庭での温度差
学校現場にいる教員にとって、校則は「集団をまとめるための必要なツール」という側面があります。40人近い生徒を相手に授業を行い、学校行事を運営し、進路指導を行う中で、一定の秩序とルールは不可欠です。髪型や服装についても「きちんとした身だしなみが学習への取り組み姿勢につながる」という信念を持つ教員は少なくありません。
一方、家庭にいる保護者にとって、子どもは唯一無二の存在です。その子らしさや個性を大切にしたいと思うのは自然な感情です。学校で画一的な規則に縛られる我が子を見ていると、「なぜそこまで細かく規制する必要があるのか」という疑問が湧くのも当然でしょう。
特に現代の保護者は、自分たちが学生だった頃よりも個人の権利や多様性について敏感です。SNSなどを通じて他校の校則と比較する機会も多く、「うちの学校だけ特別厳しいのでは」という不満を抱きやすい環境にあります。
この溝を深めているのは、決定的なコミュニケーション不足です。多くの学校では、校則について保護者に詳しく説明する機会を設けていません。入学説明会で校則集を配布し、「学校のルールですので守ってください」と伝えるだけで終わってしまうケースがほとんどです。
教員側も、なぜその校則が必要なのかを論理的に説明する準備ができていないことが多いのです。「校則だから」「昔からそう決まっている」「他の学校でもそうしている」といった説明では、疑問を持つ保護者を納得させることはできません。
「管理」か「教育」かの分岐点
校則を巡る対立の根底には、学校教育の目的に対する認識の違いがあります。教員の中には、校則を「生徒を管理するためのツール」と捉える人がいます。一方で、保護者は校則を「子どもの成長を支援するための教育的手段」であってほしいと願っています。
例えば、髪型の規制について考えてみましょう。管理の視点からは「統一された髪型は集団の秩序を保つ」となりますが、教育の視点からは「多様な髪型を認めることで個性や創造性を育む」という考え方もできます。どちらが正しいかは一概には言えませんが、重要なのは、その校則がどのような教育効果を目指しているのかを明確にすることです。
実際の学校現場では、教員も校則に対して複雑な思いを抱いています。個人的には「この校則は理不尽だ」と感じながらも、組織の一員として従わざるを得ない状況にある教員は多いのです。
教員も保護者も、心から「子どものために」と思って行動しています。その共通の思いがあるからこそ、校則についても建設的な対話が可能なはずです。対立から協働へ、そして子どもたちが本当に必要とする教育環境の実現に向けて、今こそ一歩を踏み出す時なのです。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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