その勉強、役に立つのか?:人間が技術にキャッチアップできなくなる時代

カナダの大学がもがいています。2024年に始まった政府による海外留学生の絞り込みに加え、国内学生も大学に入学する経済的理由や大学を出ても就職できないという現実がクローズアップされてきて学生数が減っています。留学生のビザ発行数は24年に40%絞り、25年は更に10%追加で絞り、現在437000人に上限を設けています。この判断をした政府の理由は学生増⇒大学近辺の賃貸の住宅価格上昇⇒市場全体の不動産価格の上昇を助長というサイクルを断ち切るというものでした。

経済的観点からするとこの判断はカナダの長年のポリシーからすると結構愚かでトルドー前政権が残した最悪の政策だったと考えています。ただし、たぶんその判断に至る過程で学生のみならず移民やビジネスビザを通じて「よくわからない輩もまぎれて正規に入国し、国内で問題を引き起こしかねない」という安全保障上の問題がなかったとは言えません。

それにしてもカナダの大学にこれほどの閑古鳥が鳴くとは誰も想像しなかったでしょう。私の会社で多少取引のある某巨大大学では大学購買部の買い付け担当10名が全員解雇されました。「全員?誰が教科書の買い付けをするの?」というのが私の疑問でした。担当者だった人らにメールをしてみてもメールが跳ね返ってくるだけ。するとその大学購買部にお勤めの方から「新しく別の部署から買い付け担当者が1人だけアサインされる」とのこと。10人の仕事が1人というのも極端です。

取引先の別の大学では大学職員が100名ほど切られましたが、更にそれが継続進行中で教員もどんどん解雇、ないし、1年契約に切り替えられました。また講座開設において受講学生が20名に満たないと自動的に講座打ち切りで先生も切られる仕組みになっています。これら激震はカナダ全土で起きており、教育現場に大きな試練になっているとも言えます。

カナダの7月度雇用統計において15-24歳の失業率は14.6%と発表されました。バイトなどで食いつないでいる大学卒業者も多く、実態はこれよりはるかに悪化しているとみられます。そのため、一般的な大学学部よりも卒業後にすぐに使える技術を学ぼうという動きが出ており、工科大学とかより実務を教える単科大学(カレッジ)へのシフトも見られます。

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私はこの傾向はカナダだけではないと考えています。多くの国でそれは確実に進行していき、世界中のトレンドになるとみています。もしもこの現実が日本で起きたらどうなると思いますか?塾が倒産、日本にある800もの大学は半分になるでしょう。4年制大学に進学する価値への疑念、企業は採用方針を全面的に見直し…という衝撃的な変化に見舞われるはずです。

お前は何故そのようなことが起きると想像するのか、と聞かれるでしょう。私は企業経営と企業内組織運営がよりcut and pasteになり、機械やロボットが人間が同列になり、管理部門が極端に小さくなるとみているからです。とすれば大学で経済学を勉強するよりも高専に行って電気工とか、配管工、自動車整備士になったほうが良いと考えるわけです。25年度の既存大学における新設学部のリストを見るとデータサイエンスのような時代にマッチした学部もありますが、ざっくり女子学生向きの学部である看護、健康、ウェルビーイング、環境、子供教育学…といったところがずらり並びます。つまり王道であった経済、経営、法学、理工の新設はほぼなく、文学部などどこに消えたという状況であります。

更に付け加えれば10年ぐらい前は青少年が将来目指す職業はプログラマーなどIT関連が圧倒的に多かった時代がありました。ところが今ではアメリカの大手IT企業は「AIがプログラムを書くから人間は不必要」とされるのです。あまりにも時代の変化が早すぎて人間のスキル向上が時代にキャッチアップしなくなっているのです。

目先、職がなければ生きていけないわけで、なんでもいいからかじりつくわけですが、ここからが問題なのです。あなたのその仕事はやりがいとか生きがいを感じるのでしょうか?それともお給料をもらうために目をつぶって耐え忍んでいるのでしょうか?

作家の平野啓一郎氏が「文学は何の役に立つのか?」という書籍を7月に発刊しました。氏の書籍はやや難しいので一般向けかどうかはわからないですが、話題本ではあります。私も手に取ってみるつもりです。読んでいないので内容については触れられませんが、氏のウェブサイトに21年5月に行った同名のタイトルの講演議事録が掲載されています。その中でこの問いに対して「今の世の中で正気を保つため」と述べています。なるほど、深い答えです。

私が懸念するのは若者が就職をゲットするためになんとなく大学に進学し、自分が好きと思う会社に就職するという流れが「直情的」であり、思慮が浅くないかという懸念を持っているのです。人生って回り道をして、失敗して、行き止まりにぶちあったって、崖っぷちに立たされて…を繰り返す中で様々な経験を積み、人間が大きくなるのです。

つまり仕事を得る就活テクニックを駆使し、今の仕事にしがみつけばよいというものではないのです。文学はそういう意味では全く同じで、読んだところで明日の飯には全くつながらないのです。ただ、文学は自分の中にしっかり浸透し、自分を作り出す見えない重要な要素を生み出すアミノ酸みたいなものだとしたらどうでしょうか?

「その勉強、役立つのか」といえばしっかり勉強すれば自分のカラダに染み込むので絶対に役に立ちます。卒業するために要領だけで生きていく人は残念ですが、厳しい社会が待っている気がします。仕事のスキルは時代の変化の中でどんなものにも食いついてやろうという意識を持つことが大事だと思います。自分を専門職化=取捨選択しすぎると後で融通が利かなくなる、だからこそ、文学を読む、つまり人間としてのエキスをしっかり取り込むことが重要だと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年8月14日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。