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以前、関税「交渉」においては石破総理はよくやっている、何の成果もない方がいい、と冗談半分に書いた。
先日、関税交渉の結果について、日本の理解とアメリカの理解が違う、と政治家やマスコミが騒いでいたが、先の投稿ではないが、「何を今更」と思う次第である。
トランプの関税攻勢の意図はいろんな方がいろいろおっしゃっているが、国内向けに支持率を保ちたいだけのかもしれないし、真にアメリカ国民を他国より上位にしたいと思っているのかもしれない、それ以外かもしれないが、いずれにせよ、1回の手打ちくらいでそんなに簡単に話は終わるはずはないくらいわかるであろう。なぜみんな一喜一憂してそんなに右往左往するのだろう。
そりゃ関税が高くならないに越したことはないが、はじめからいかに表現を誤魔化しても「交渉」ではないのはわかっているのだから、何をしてももっと無理難題が来るのは見えている。
都合が悪くなれば決定事項は無視してどんどん勝手なことを言うのは実証済みであり、どうせ妥結しても、素直にそれで終わると思うほうが間違いである。
アメリカにはアメリカの理屈があり、非難しようが何をしようがアメリカ国民の支持がある限りはなんでもありだ、という単純な話を政治家もマスコミもなぜ無視するのだろう。
ひょっとしたら、石破総理はそこまでわかっていて、何もしないつもりだったのかもしれないと(ほんの若干の)期待を含めて思っていたら、前の投稿でおそれたとおり参院選後に変に妥結した形を作ったので、どうやら本当に交渉で何とかできると考えていたようである。ひょっとしたら、参院選の後の総理交代を避けるために苦し紛れに妥結した、ような気もするが゙・・・。
本当に「交渉(実際は「お願い」だろう)」ができていたのかどうか、はわからないが、いずれにせよ、一筋縄ではいかない相手なのだから、次はまた何か言ってくる(やってくる)はず、と思っていたら、案の定、であった。
書面があるとかないとかや、理解が違う、と一喜一憂するのはマスコミと政局にしたい野党に乗せられていると思いませんか(トランプ相手にどんな合意文書があろうと、それで終わると思っている政治家や評論家・コメンテーターに外交を語る資格はないと思うのだけど・・・)。
大あわてで再交渉に行くのもかまわないが、どうせ第2弾があると想定し、日本に有利になれば儲けもの、程度である。
今回は再交渉で一旦おさまったかのように見えるが(仮にほんとうにおさまったのだとしても)、よかったね、という程度で、次に備える、つまり、どうせこれで終わるはずはなく、もっといろいろ言ってくる(やってくる)だろうから、ゴニョゴニョ言いながら、日本に不利なことはずるずるとぎりぎりまで何もしない、いよいよとなってはじめて言い訳をしながら小出しに対応するのが正解である。
もしその時にまだ石破さんが総理なら、それこそ口だけで何もしない(できない)石破さんの真骨頂、フリだけは頑張ってしてくれれば、それこそ国益に資すると思う。
前にも書いたが、もう一度言うと、関税攻勢は円高になってしまった、と考えた方が日本にとってはいいのではないか…と思っている。なんの問題もないとは言わないし、個別の企業を見れば苦しいかもしれない。しかし、日本全体で見れば100円近辺の円高の方が輸出企業にとってはしんどいはずだが、為替操作しろ、という話にはならないだろう。
残念ながら、日本の国力では徹底抗戦をするようなことはできないのだから、やっているふりをしてトランプが国内向けにいい顔をできるようにしながら、実は日本に不利なことは何もしない、というのが正解だと今も思っている。
企業は、政府の「交渉」に期待せず、対アメリカでは為替が極端に円高になったとあきらめて、円高に準ずる対策をすすめてもらうとともに、アメリカ以外で稼ぐ力を考える方が理にかなっている。政府がやってくれる「交渉」で関税が下がれば儲け物だが、(どうせまた脅しがあるのに)そんなことを期待して延々とジタバタするだけ浪費である。
…とここまで書いたが、たぶん企業は政治家やマスコミには踊らされてはおらず、口では大変だ、大変だ、といいつつ、関税攻勢は続くものとして対アメリカが円高になった(なる)前提で行動していると思う。
逆に、「交渉」結果を受けて、政府が企業にアメリカ向けの施策を強要するようなことがないか、ということの方が心配である。
日本にはまだまだ、解決すべき課題はあるので、政府も野党も関税交渉を政局にしたりして大騒ぎせず、もっと大事なことに取り組んでほしいものです。
国民もマスコミにのせられないで、こんなことで一喜一憂しないのがいいのでは…。
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田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て、現在は隠居生活。