食べログという有名なグルメサイトがあります。無料の携帯版で検索すると「標準」という表示順になって広告費を払っているお店が上位に掲載されたり、5点満点の評価が信用できないことが多いなど使い方に注意が必要な飲食情報サイトです。
私は点数を妄信するのではなく、自分が信用できると思うレビュアー(コメントを書いている素人)を何人か見つけて、その人たちのコメントを参考にしながらお店選びの参考にしています。
レビュアーのクオリティにはかなりバラツキがあると感じています。
一部のレビュアーの文章を読んでいるとお店の評価には関係の無い日記のような散文が長々と掲載されていることがあり、「食べログ文学」とでも名付けたくなります。例えばこんな文章が掲載されているのを見つけました。
知人がサクランボを自宅に送ってくれて、うーん 大好物なんですよね。
この知人は このところ毎年この時期になると山形の農家から直送でサクランボを送ってくれるのですが、今年はまた出来が良かったのか、凄く粒が大きく糖度が高く 良い感じの酸味が有って非常に美味かったですねぇ。
そのお返しに愚妻と共に玉川高島屋まで来て、返礼品を送る手配をし、折角来たので色々見て歩いたり買い物したりして、ぶらぶらとライズSCまで来たので、ちょっと疲れたし 喉も乾いたので サクッと昼飲みでもしようと こちらの店の前までやってきました。
15時30分くらいでしたが、こんな中途半端な時間でも まだ満席なようで3組ほど待っていましたが、一応申し込み機に登録をすると、カウンター2人ならと直ぐに席に通されました。
知人からさくらんぼを送ってもらったことなどどうでも良くて、検索したお店の感想を早く知りたい訳ですが、書いている人にはそんなことは関係ないようです。
公開されているサイトというより自分のブログのページのような意識で思いつくままに日記を書いているのかもしれません。食べログというサイトは元々はブログの延長のような位置づけで発展してきたという経緯も影響しているようです。
さらに文学的な表現を織り込んだレビューも掲載されていますが、こうなってくると作品としての完成度を意識して、読んだ人からの「いいね」やコメントなどを狙っているように見えます。
インスタグラムで自撮り写真を掲載している人と同じ「承認欲求」が執筆のモチベーションなのかもしれません。
そして、この手の散文でもう1つ気になるのが「愚妻」の登場頻度が高いことです。自分のパートナーを愚妻と呼ぶ人は最近まったく見かけませんが、昭和にタイムスリップする「食べログ文学」の世界では健在のようです。
一時期、新築マンションの広告コピーが「マンションポエム」と揶揄されたことがありましたが、それ以上に何とも言えない味わいを醸し出しているのが「食べログ文学」です。
書いている本人が掲載に満足している限り、無くなることは無いのでしょう。
編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2025年8月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。