プーチン大統領の「死の経済学」

トランプ米大統領とウクライナのゼレンスキー大統領、そして欧州の首脳(英仏独伊フィンランド)と欧州(EUEU)首脳、北大西洋条約機構(NATO)のルッテ事務総長を交えた会合が18日、ホワイトハウスで行われた。米国からの報道によると、トランプ氏は会合中にロシアのプーチン大統領と電話会談をし、ゼレンスキー氏と欧州主要国の要望を伝達した。その結果、2週間以内にプーチン・ゼレンスキー両大統領の首脳会談を開催することで合意したという。また、ウクライナの国家安全保証について、米国も関与を約束し、関係国が詳細な計画を練る予定という。ウクライナ情勢で初めて停戦和平への動きが見えだしたことは朗報だが、プーチン大統領がトランプ氏やゼレンスキー氏の提案にどのように反応するかは依然、不確かだ。

米アラスカ州で開催された米ロ首脳会談 2025年8月15日 クレムリン公式サイトから

ところで、ドイツ民間放送ニュース専門局NTVのウェブサイトでハンネス・フォーゲル記者は「ロシアでは死は生きるよりも利益を生み出す」という衝撃的なタイトルの記事(8月14日付)を掲載し、「ロシアでは何万人の男たちが自ら進んで死に身を投じ続ける。その理由は生きているより砲弾の餌食となることでより利益を得るからだ」と報じている。だから、プーチン大統領がトランプ米大統領との交渉で合意に至らなくても、懸念することなくウクライナで戦争を継続できるというのだ。

同記者はウオール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)の記事を引用し、ロシア兵士が置かれている過酷な現状を紹介している。例えば、一人の27歳の男性(WSJではミハイルと呼ばれている)はロシア軍の大きな看板に惹かれ、戦争に行く決意をした。契約金は200万ルーブルで、自身の月給の20倍以上だった。借金もあったので早速、軍隊に登録した。後方勤務が許され、3か月の勤務で帰国できると考えていたが、実際は前線に派遣された。多くの兵士が戦死したが、男は生き延び、ウクライナの戦争捕虜収容所に拘束された。男の証言によると、「彼の部隊にいた約100人の兵士のほぼ全員が死亡した」という。

数万人のロシア兵が同じ状況にあるという。プーチン大統領のウクライナ侵攻から3年以上が経った今でも、多くのロシア男性が自発的にウクライナとの戦争に参加している。プーチン大統領自身によると、毎月少なくとも5万人が軍と契約を結んでいるという。

西側諸国の推計によると、これまでに約100万人のロシア兵が負傷または死亡している。軍指揮官たちは、兵士を使い捨ての消耗品のように扱っている。「非人道的な波状攻撃では、わずか数メートルの前進のために容赦なく焼き尽くされる。多くは、一発も発砲できないうちにドローンによってバラバラに引き裂かれる。前進を拒否すれば、同志から虐待、拷問、あるいは処刑される。軍幹部たちは兵士の生死など気にしていなかった」(WSJ)という。

問題は、なぜ多くのロシア男性が軍に入ろうとするかだ。フォーゲル記者は「プーチン大統領の戦争経済では多くの人にとって生きるよりも死ぬ方が価値があるからだ。ロシアには死を覚悟する何百万人の国民がいる」という。

ロシアの哲学者ニコライ・カルピツキー氏は「「仕事がない、あるいは低賃金、家庭での喧嘩や悩みが絶えない、社会で孤立している」――このような社会では、自己保存本能が薄れ、死はもはや悪とは思わなくなる。ロシアにはそのような人が何百万人もいる。だから、軍に入る男性が止まらないのだ」と説明している。

モスクワの軍の募集事務所は契約兵の募集を宣伝している。初年度の「保証収入」は520万ルーブルからで、ロシアの公式平均給与の約55倍に相当する。募集ボーナスだけでも約2万5000ユーロだ。これに加えて、託児所の予約、子ども一人につき月200ユーロ以上の小遣い、配偶者向けの無料の職業訓練、両親の介護支援などが含まれる。モスクワ行きの航空券まで支給される。父親や夫が死亡した場合、親族には数万ユーロが支払われる、といった具合だ。

この残酷な論理は、歪んだ帰結をもたらす。ロシア人の命があまりにも使い捨てになっているのだ。ロシアの軍事機構が活況を呈しているのは、最も重要な原材料((兵士)が極めて安価だからだ。一方、死の見通しは、貧困生活の見通しよりも悪くないように見えだすのだ。プーチン帝国が変わらない限り、そのような状況は続くという。

なお、ロシアの独立系ニュースポータル「メディアゾナ」は、2022年2月24日から2025年7月31日までの間にウクライナで殺害されたロシア兵12万1507人の身元を確認した。実際の犠牲者数ははるかに多いという。8月1日までに陸軍およびその他の治安部隊の将校5,432人が戦死した。戦死者の大半は33歳から35歳だった。

(上記の情報はNTVのフォーゲル記者の記事とWSJの情報に基づく)

ちなみに、プーチン大統領が戦争を継続できるのは原油、天然ガスの輸出からの収入があるからだ。EUは石油や石炭などの化石燃料とは異なり、ガスに対する制裁はまだ発動していない。EU統計局ユーロスタットによると、EUは2025年上半期にロシアから約44億8000万ユーロ相当の液化天然ガス(LNG)を輸入した。昨年の同時期には、約34億7000万ユーロ相当のガスが輸入された。EUは2028年からロシアからの天然ガス輸入を停止する予定だが、それまで、欧州諸国はプーチン氏に軍資金を提供しているわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。