政治経済の話を一旦横に置き、社会学的見地に立ってみましょう。流行とは一時的ブームであり、必ずしもファンや支持者ではない人も時の流れに乗せられ、同調し、勢いに乗るということかと思います。皆様も御経験があると思いますが、初めは大して気にも留めていなかったこと、例えば、食べ物の流行からファッションまで周りが皆で騒ぐと「そっか、一度試してみるかな」になるでしょう。
ところが流行を支える原動力は割と軟弱な支持基盤であり、何らかのきっかけでそれが剥離するのも世の常です。きっかけは2つあり、1つは失望するような事態が生じること、もう1つは単なる時間軸です。時間軸というのは「飽きる」ことを意味し、新味が無くなった時点でほかのことに興味が移るわけです。
但し、一定のコアのファンが支えることもまた事実であります。わかりやすいのは都民ファーストという東京の地域政党が出来た時、大ブームで選挙で圧勝します。ところがそのあとボロが出て人気が剥離し、自民党に抜かれます。ところがコアなファン層が支え、膨張しすぎて無理があった部分が修正されたこともあり、再び地域政党としての存在を示しました。ただし、私には小池百合子氏あっての都民ファーストであり、小池氏がいない都民ファは「フルーツが乗っていないパンケーキ」のようなものだと思っています。
では本題のトランプ氏。私は以前から就任6か月が一つの節目と申し上げました。通常3か月まではハネムーン期間と称し、メディアもその手腕を見守り節度を保つのが暗黙の了解になっています。私が6か月と考えたのは就任早々、次々と驚くような政策を打ち出したことでそれが機能するかどうかの初期反応と結果が見えるのが6か月と考えていました。よって6月7日のつぶやきで「トランプ氏の賞味期限は近いのか?」と書かせていただいたわけです。
トランプ大統領 ホワイトハウスXより
さて、トランプ氏のもう一つの特徴は売り込みが上手なのです。まるで史上最強のセールスマンのような腕前があるのです。どこがそうか、というとまさに驚くようなことを実行してしまうことであります。マーケティングのテクニックではサプライズ感を出すのは売り上げ増の常套手段とされています。ただし、私もマーケティングを実践している中で申し上げたいのは「中身が伴わなければいくら驚きがあってもそのマーケティング効果は一瞬にして消える」であります。
話しが飛んで申し訳ないですが、ひと昔前、北米でクーポンビジネスが流行ったことがあります。そのクーポンを持っていけば3割、5割、時として7割引きといった割引を得られたのです。企業は売り上げ増のために高いコストのクーポンを必死に提供しました。ところがこの流行は2-3年で一気に醒めたのです。理由はクーポンを利用する客はリピーターにならないという結果が出たのです。
これは何を意味するか、といえば本当のファンを作るには目先のディールではなく、そのディールが長期的にウィンウィンの関係にならないとだめだということではないでしょうか?
トランプ氏のマーケティングはウィンウィンではなく、ウィンルーズなんです。つまり誰かが得をし、誰かが損をする、そういう話で、トランプ氏は相手に力づくで損を与えているわけです。これは常識的に見て長続きするわけがないのです。
関税の話はまさにそうです。では外交はどうでしょうか?これもトランプ氏の特徴は外交という天秤において当事者であるアメリカのみならず、第三者として間に入る場合でも天秤のどちらかの肩を持つのです。北米にはミディエーター(仲裁者)という仕組みがあります。要はなんでも裁判に頼っていてはシステム破綻するので簡単なもめごとは仲裁にて妥結するわけです。ではトランプ氏はよき仲裁者かといえば私にはそうは思えないのです。常に「どちらの密が甘いか」天秤にかけているそんな風に見えるのです。
トランプ氏はもともと外交には興味がない人です。ただ、ポイント稼ぎはしやすいので軽い気持ちでちょっかいを出してきたのです。ところがウクライナにしてもイスラエル問題にしても泥沼にはまってしまいました。最近もっと厄介な問題となっているのがインド外交です。モディ首相と関税問題をきっかけにびっくりするほど冷たい関係になっています。モディ首相はトランプ氏が何度か試みた電話による懐柔を全部拒否。まるで別れた恋人が未練がましくすがるのに対して片方はプンプン丸の状態のようなものです。
しかもこれを更に複雑にしたのはトランプ氏が「そんなら中国とのディールを進めるわい」としたことです。中国とインドはもともとは犬猿の関係。インドとしては「ふざけるな!」であります。そこでモディ氏は8月31日に中国に行き、習近平氏との関係改善を図ると見込まれています。モディ氏は習氏に囁くのでしょう。「トランプ氏の賞味期限は長くないですよ。もう少しの我慢かと」と。
外国人を追い出したトランプ政策もあとで火がつくでしょう。それは「船頭多くして船山に上る」であります。もともと安くてよく働く労働力であった外国人を追っ払い、冷たい仕打ちをした結果、残ったのは給与が高く、注文が多い船頭ばかり。これではビジネスはできないのです。
流行を社会学的に捉えようが、経営学的見地からサプライズ感をマーケティング手法に取り入れたとしてもそれはギミック(手品)のようなものであると気がつくにはさほど時間がかからないと私はかなり強く思いつつある今日この頃であります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年8月27日の記事より転載させていただきました。