外務官僚は「大東亜共栄圏」をどう形成し、指導したか。本書は日本をとりまく東アジア情勢と外務省中枢の意思決定との関連を時代の節目ごとに振り返る中で、「大東亜共栄圏」として結実する国家構想の策定に戦前の日本外務省がどのような役割を果たしたかを可視化する。
つまるところ、大東亜共栄圏の挫折は、国際(協調)主義に対する地域主義の敗北として整理されよう。
日露戦争による戦勝から欧米列強に一時的には認めさせた満州地域(やがて内蒙古を含む)における帝国日本の開発・行政・治安(軍事)にかかる権益は、米国の中国市場に対する戦略的重要性の高まりを受け、満蒙権益は米国そして満州事変後は国際連盟をして相対化され、そのフラストレーションの蓄積から、帝国日本は中国や東南アジアを「東亜」という地域概念として国際社会に打ち出し、満蒙においては歴史的経緯を踏まえら日本権益の特殊性を、東南アジアにおいては各国の「解放」者たる日本として自らを位置づけ、構想の国際的正当性を主張する。
その究極的な表現が大東亜共栄圏であるが、本書いわく、少なくとも外務省による対中政策立案には大東亜共栄圏という経済的・思想的自給圏までの道程は直線的でなく、紆余曲折を経て国際主義が挫折した経緯が確認できる。それは英米との緊張を緩和する構想と情熱を有した外交官がいたことを意味し、外交理論・思想上の整理としては、リアリズムの要諦である「慎慮」が戦前日本外交にはたらきうる契機が存在しえたことを示唆している。
たとえば小村寿太郎外相の長男である小村欣一(政務局第一課長)の「満蒙供出」論は、日本の満蒙の特殊権益を英米等の主要国に開放し、西欧列強と協調した対中国開発を目した発想であり、米国との協調を通じて英国の在中権益を相対化するとともに、中国の閉鎖的な投資環境を改善するという、したたかさを内包した戦略的な外交政策論であった。
しかし、英米協調外交の代表的外政家である幣原喜重郎ですら、「満鉄中心主義」といわれるように、中国に多くの権益を有する英国との協調によって在中国権益の「解放」を狙う米国との距離を調整しようと試みた。
幣原は満蒙権益の特殊性は国際法や主要国の外交慣行から国際的に認められていると認識しており、彼の「協調外交」は満蒙権益は米国による干渉外であることを前提にしていたことは、外交上の慎慮の有無をはかるうえで留意が必要である。米国が日本の満蒙権益特殊主義に対してどれほどの許容性を示すか、日本の国力や外交力をしてどの程度米国にそれを納得させることができるか、幣原が有した慎慮の分析は興味深いテーマであろう。
その他、本書では「精神的帝国主義」論、「東亜」概念、「興亜」概念、「東亜新秩序」そして「大東亜共栄圏」という外交思想・概念の展開を史的に整理する。そこに表れるのは、満州権益の相対化が事実上不可能になり、英米との緊張が深まる中で、満蒙や東南アジアにおける資源や食料の自活を見出し、自給圏構築を目指しつつ国家的正義を国際的に正当化せんとする外交当局の苦慮のすがたである。
重光外相が英米に対して国際社会に戦争の「正義」を主張することを目的に、アジア諸国の自由と民族自決のために彼らの「解放」(独立)を目的とした「大東亜共同宣言」は、その苦慮を象徴的に示した外交文書であるかもしれない。
最期に筆者は、リアリズムの大家であるハンス・J・モーゲンソーが強調した、パワーポリティクスにおける平和と安定を実現するための要諦としての「慎慮」(prudence)の欠如が、戦前日本外交の転落の原因の一つと指摘する。ここでいう慎慮とは、「一見道義にかなった行動でも、その政治的結果が考慮されなければ政治的道義は存在しえないのであり、政治行動はその結果を見極めることが政治上の美徳である」という命題である。
満蒙権益の妥協なき追及は「一見道義にかなった行動」であるが、その「結果」が、英米との緊張を高め、常識的には勝てない戦争に至らしめ得るとの見通しを政府内で説得できず、意思決定に外交的な「慎慮」をもたらせなかったことが、戦前外務省の失敗であるとリアリズムは評価し得よう。
戦前外務省が、大陸主義という国益の追求に英米の反応という「国際益」を見極められなかったことの現代的な示唆は何であろうか。時代は異なれ、両者のすり合わせが外交当局の至高の仕事であることを戦前外務省の蹉跌は十分に物語る。
そもそも外交とは、〈国益〉を追求しつつ、一方では国際社会との協調を模索せねばらないという、矛盾を抱える活動である。よって、矛盾した目標や課題を設定すること自体が、問題なのではない。重要なのは、矛盾を抱えねばならない外交のそうした性格や原理について認識を深め、時代の変化の性質を正しく認識し、自らの国益と国際社会との協調を調整する仕掛け(組織・制度)を設計して運用していくことである。
(264頁)
編集部より:この記事はYukiguni氏のブログ「On Statecraft」2025年9月1日のエントリーより転載させていただきました。