黒坂岳央です。
近年、「仕事で頑張りすぎは損だ」という言葉がネットや書籍、SNSなどで頻繁に見るようになった。「給与以上に働くな」「日本人は頑張りすぎ」という意見は多くの人にとって耳障りの良いフレーズとなっているのだろう。
だが、筆者はこのような思考は危ういと思っている。なぜなら、それは長期的に見て「貧乏になる思考」だからだ。
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そもそも本当に頑張りすぎか?
「日本人は働きすぎだ」という意見は昔から繰り返し言われてきた。確かに高度経済成長期には、労働時間の長さが国際的に見ても突出しており、「モーレツ社員」「24時間戦えますか」という時代背景も存在した。しかし、データを冷静に見れば、現代は違った姿を示している。
まず、日本の労働時間の推移だ。1980年代後半には年間2,000時間を超えていた平均実労働時間が、現在では大きく減少している。2022年の統計ではおよそ1,600時間程度となり、過去と比べて確実に短縮している。もはや「働きすぎ大国」という時代は過ぎ去ったのである。
次に国際比較だ。OECD加盟国の中で見ると、日本の労働時間は決して突出して長いわけではない。むしろメキシコや韓国、さらには一部の欧州諸国やアメリカよりも短く、位置づけとしては“中程度からやや上”に過ぎない。加えて国民の休日数は世界的に見てもトップレベルに多い。つまり「世界でも最も働きすぎている国」という印象は、必ずしも実態を反映していない。
よくある反論として、「日本の労働時間はパートタイマーや短時間勤務者を含むため、国際比較では実態を正しく示していないのではないか」という指摘だ。
確かに統計上は全就業者を母数に取っており、短時間労働者の比率が上がれば平均値は下がる。しかし、この論法は各国の統計の取り方が同様であることを見落としている。
OECDのデータは各国共通の基準に基づき集計されており、日本だけが恣意的に低く出ているわけではない。さらに、フルタイム正社員に限定した労働時間を見ても、かつての2,000時間超の時代から比べて明確に減少している。つまり、「パートタイマーを含むから日本は短く見える」という批判は、日本の労働時間減少のトレンドや国際比較の相対位置を否定する根拠にはならないのである。
したがって、「日本人は頑張りすぎだから損をしている」という言説は、過去のイメージに依存したステレオタイプに近い。実際には労働時間は減少しており、国際的にも突出して長いわけではない。真に問うべきは「時間の長さ」ではなく「時間あたりの価値をいかに高めるか」である。
出し惜しみする人は評価されない
「働き過ぎは損」という意見は「時給以上に頑張るだけムダ」と言いたいのだろう。主張の意味は理解できなくはないし、市場平均値くらいの労働力にセーブすることは特別責められる根拠ではない。結局は「お好きにどうぞ」というのが答えになる。
その一方で、現実問題として「損をしたくない」と考えて出し惜しみをする人は長期的に見て損をする事実も考慮しておきたい。誰もが知る「ギバー、テイカー、マッチャー」という概念において、「頑張りすぎは損」と考える人は多くの場合、テイカーやマッチャーに属する。つまり、自分の労働量や努力を常に出し惜しみし、見返りが確実な場面でしか力を出さないのである。
だがそうなると問題は企業側からの評価が特別高くならないということだ。会社が昇給、昇格、年収アップになる転職を考慮する根拠は、「この人材に投資しても十分ペイする」という判断に他ならない。つまりは「労働力>給与」という構図の場合のみだ。ところが出し惜しみで小さな成果しか出さない人材には、大きな仕事も任されず、結果として妥当な給与しか与えられない。そうなると労働市場全体で見ても市場価値が低いので、転職にも困る。
労働力をセーブすることは短期的、本人にとっては“楽に稼げるので効率的”に見えるかもしれないが、長期的には大きな機会損失に繋がりかねない。そのまま年を取ると「年齢相応のスキルや経験、労働力がない人材」になるので、ビジネスチャンスもつかみにくくなっていく。つまりは待っているのはジリ貧コースというわけだ。
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昨今は大企業でも黒字リストラが進んでいるし、外国人労働者も増えている。「働いたら損」と考えるのは自由だが、「自分の市場価値」という観点で考えると「出し惜しみは損」とも言える。そこまで考慮して選択をした方が良いのではないだろうか。
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