黒坂岳央です。
ビジネス書や投資本では「生活レベルを上げるな」「贅沢は敵だ」と繰り返し言われている。確かに資産形成の観点から見れば、収入が増えても支出を膨らませないことは合理的で、複利効果を享受する王道だ。
だが「精神的な満足」を考えると、生活レベルを一切上げず、同じ生活、同じ場所、同じことを何十年も続けることが本当に望ましいのだろうか。
長期的にライフスタイルを固定化してしまうと、脳への刺激は乏しくなり、日々の生活に目標が消え、頑張る理由を見失う。実際、節約生活を続けることに疲弊し「お金は貯まったが自分は何のために生きているのかわからなくなった」と嘆くブログ記事を見ることがある。
人間はひたすら資産を増やすために生まれてくるわけではないし、あの世にお金は持っていけない。特に中年期以降は先行きがぼんやり見え、何のために生きているかわからなくなることも多い。
そう考えると破綻しない前提で、ある程度生活レベルを上げていくことは悪くないと思うのだ。
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背伸びがもたらすモチベーション
筆者は「引っ越し魔」である。社会人になってからはとにかくいろんな場所に移動して来て、通算10回以上は引っ越しをしている。来年から新しい住居に移る予定だが、正直なところ相当な出費であり、かなり背伸びをした買い物となった。
もちろん、自分は大富豪だと矮小な自慢をするつもりはないし、見栄やキャピタルゲイン狙いでもない。この引っ越しには2つの意味がある。1つ目は子供たちの教育環境、そしてもう一つが「人生で頑張る理由をつくるため」である。
新しい住まいに見合うだけの収入を確保する必要がある。かなり仕事を頑張らないといけないが、プレッシャーと言うより強いワクワク感を感じている。今年から思い切って未経験の新しい仕事を始めたのも、一つの理由である。
生活レベルを戦略的に引き上げることは「仕事へのさらなるコミットメント」を生み出すのだ。
コスパ思考を超える発想
現代社会では「コスパ」「タイパ」といった効率一辺倒の意見が大衆思考となった。もちろん、ある程度合理性は必要だが、「欲しいもの、やりたいことは何もないので、一番合理的な選択をすることで満足度を得たい」という使われ方をすることも多いと思っている。
だが、節制だけでは人生は味気ない。人間はロボットではないのだから、効率だけを追い求めると心を失う。時にはコスパ度外視で生活レベルを上げ、それをモチベーション源泉として活用することが重要だろう。
それにもし想定通りに物事が進まなければ、その時はまた生活レベルを下げればいいだけの話であり、世間で言われているほど生活レベルを上げることは取り返しのつかないリスクではないと思うのだ。
実際、有名投資家の中には資産運用で資産を増やしながら、より高級な住まいへ移り住み、トレードの緊張感や集中力を維持している人物がいる。ある経営者は「自分が高級時計を買い続けるのは、目標がないと仕事を頑張る意味を見失うから」という人もいる。
これらは浪費ではなく「背伸びをすることで自分を律する仕組み」にしているのだ。
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ある程度年を取ると、コモディティは手元に揃う。そこそこ経験値も貯まれば欲しいものもやりたいこともなくなっていく。
だが住居は何歳になっても快適空間を求めがちだ。家は家族関係、教育、健康、そして仕事への姿勢にまで影響を与える。だからこそ「住まいを充実させるために背伸びする」のは中高年から思い切ってやるのもありだと思うのだ。
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