日本一美しい廃線跡・旧倉吉線を歩く

鳥取県中部の町、倉吉市に来ました。倉吉は打吹山城のもとに栄えた城下町で、今も土蔵が多く残っていてその景色を見に訪れる観光客が多くいますが、その玄関口となる山陰本線の倉吉駅は市街地から大きく離れています。そもそも1972年までは倉吉駅ではなく、上井(あげい)駅と呼ばれていて倉吉とさえ名乗っていませんでした。

旧倉吉線路線図 鉄道駅歴史地図より引用<https://rail-history.org/r/21237.html>

その上井駅から倉吉市街地方面には国鉄倉吉線が伸びていました。倉吉市街地を経由したあとさらに線路は山の方に延び、旧関金町の山守駅までを結んびます。さらにその先は中国山地を越え、姫新線の中国勝山駅までを結ぶ南勝線(なんしょうせん)も計画されていましたが、実現には至りませんでした。

旧打吹駅跡に建てられた鉄道記念館。

倉吉線は利用が伸び悩み、国鉄再建法制定時にバス転換が妥当とされる第1次特定地方交通線に指定され、1985年4月1日に全線が廃止されました。

この時期に廃止された路線は全国にあるのですが、廃止から40年が経ち、駅舎や線路はおろか、線路跡まできれいさっぱりなくなってしまっている路線は数多くあります。そんな中、倉吉線に関しては小さいながらも鉄道記念館があったり、線路跡も多く残されていてオールド鉄道ファンにとってはうれしい路線となっています。

かつて活躍した貨車移動用ディーゼル機関車などが展示されています。

終点山守駅周辺は当時からすでに過疎化が進んでいたようです。

かつて鉄道が現役だったころの思い出の写真が飾られていて、駅のベンチのような椅子に座りながら追憶に浸ることができます。

鉄道記念館周辺は遊歩道、自転車道として整備されています。これを南方向に向かって行けば、さらに廃線跡が残っている場所があるので、そちらに向かうことにします。

車を走らせ、旧関金町の「せきがね廃線跡観光案内所」にやってきました。終点、山守駅の駅名標が移設され、飾られています。

ここからの一部区間は廃線後40年経った今も線路が残されていて、ここを歩いて散策することができます。かつてここを鉄道が走っていたという歴史をかみしめながら歩を進めていきます。

ところどころ途絶えながらも線路は続く。

1キロほど歩いて、旧泰久寺駅にやってきました。旧倉吉線の中で唯一今もホームが残っている駅です。

森の中にひっそりと佇むホームは静かで、時折訪れる観光客以外は誰もいません。民家がないことはないので人の手は入っており、秘境という訳ではないですが、駅が必要なほどの集落ともいえず、ここに駅があるのが不思議な感じです。

ここから先、森の方にも線路が続きます。散策していると時折人とすれ違います。鉄道ファンだけではなく、そうではない若い方やお年寄りも見かけます。実はこの先にはインスタグラムなどで有名になった撮影スポットがあるのです。それが日本一美しい「竹林の中の廃線跡」です。

それがこちら。竹林の間を割って入るように線路が延びていきます。

この先線路は終点、山守駅に向かっていた。

鉄道が現役のころはここまで竹も迫ってきていなかったのでしょうが、廃線から40年たち竹は伸び続けました。遊歩道整備のため人の手は入っていますが、それでも竹が線路のすぐ近くまで迫ります。

線路と線路の間、本来映えるはずのない場所からも竹が伸び、廃線からないい時間が経たことを実感せずにはいられません。

蝉時雨以外何も聞こえない。

泰久寺駅跡まで戻りました。廃線時よりもさらに過疎化が進み、ここに住む人はほとんどいません。ただそんな場所で今もかつてここに確かに鉄道があったということを伝えるため、地元の方たちによって鉄道の歴史が埋もれることなくこうして散策をすることができるのです。そのことに感謝しながら日本一美しい廃線・竹林を歩いて見ていただきたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年9月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。