郊外に住む経営者の合理性

黒坂岳央です。

日本における住宅選びの議論では「都心へのアクセスの良さ」がしばしば最重要視される。特にサラリーマンにとっては、「都心までのアクセス」は決定的に重要だ。日本の総就業者に占めるサラリーマンの割合は、約89%と突出して多いために、「職場に近い=価値が高い」という発想は市場のコンセンサスとなっている。

だがこのロジックがすべての層に通用するとは限らない。経営者やフリーランサー、あるいは富裕層にとっては、むしろ「都心からの程よい距離」がメリットになり得る。筆者もこの感覚を持って来年からの新居の場所を決めた。

完全に独断による持論だが展開したい。

Orthosie/iStock

都心アクセスを求める人、そうでない人

確かにサラリーマンにとってはアクセスの良さが重要だ。

・出勤が速い
・交通機関の選択肢が豊富
・緊急対応もスムーズ

これは揺るぎない合理性であり、「職場に近い=住宅価値が高い」という発想は社会的コンセンサスとして機能している。

だが一方で、経営者やフリーランサーのように「出社義務のない人」にとっては、この合理性は必ずしも当てはまらない。むしろ都心は人混み、騒音、環境汚染といった“目に見えないコスト”が発生する場所でもある。

筆者が郊外を選んだのは、下記の基準によるものである。

・交通過密を避けられる
・排気ガスや騒音を最小化できる
・静穏でプライバシーが守られやすい

特に喘息持ちの息子がいる自分にとって「空気がきれい」という一点は特に大きかった。都心の便利さと引き換えに健康リスクを背負うことをコストに感じてしまうのだ。

実際に購入を決めた住宅地は、鉄道動線ではネットで「不便なエリア」となどと揶揄されているようだ。しかし、周囲には経営者、開業医、外国人タレント業など、自営業の属性人が暮らしている。つまり「都心アクセスは悪いが、それを補って余りある生活の質」を求める層が一定数いるということだ。

「アクセスが悪い」という付加価値

筆者自身、サラリーマンではないため、都心に近すぎる必要は感じない。むしろ程よく距離を置く方が、生活の質が高まると考えている。実際に購入した新居は、ネット上では「鉄道の動線が悪い」と揶揄されることもある場所だが、生活を送る上では自分はほとんど不便を感じない。

理由は明快である。通勤がなければ鉄道の利便性は絶対条件ではないからだ。むしろ地域としての落ち着きや治安の良さが優先される。さらにタウンセキュリティやホームセキュリティといった仕組みが整い、安心感を高めている。

こうした環境は都心では得がたい。人口密度が高く、匿名性が低い都心部では、防犯体制を街全体で整えるのは現実的に難しいだろう。郊外の方が実現できる住宅環境があるのだ。

また、移動が必要な際は車を使えばよい。実際に契約や内覧で何度も都心と行き来したが、大きな不便さは感じなかった。つまり、アクセスは常に価値ではなく、ライフスタイルに応じてメリットにもデメリットにもなる。

郊外に住むVS都心に住む富裕層

実際、誰もが知る高級住宅地の多くは、都心アクセスに優れた立地ではない。芦屋の六麓荘、世田谷の成城、田園調布など、都心から一定の距離を置く場所に形成されている。これらの地域は、

・広い土地を確保できる
・緑豊かで静穏な環境を享受できる
・コミュニティとしてのブランド力を持つ

といった特徴を備える。六麓荘などはむしろ、かなりアクセスが悪い。それこそが重要ポイントなのだろう。

もちろん、すべての富裕層が郊外を選ぶわけではない。港区や青山にそびえるタワーマンションに暮らす人々も多い。

そこでは「ブランドイメージ」「一等地の資産価値」「社交の利便性」が優先される。オフィスビルの上層階に住み、エレベーターで“通勤”を済ませる社長もいると聞く。

つまり「郊外派」も「都心派」も存在する。ただ、サラリーマン的な合理性が必ずしも富裕層に適用されない点だけは明確にしておきたい。

本稿は極めて主観的な内容だ。それゆえに「いや、やはりアクセスが良い方が優れている!」と感じる人もいるだろう。もちろん、それは1つの意見として正しい。

筆者は、「アクセスはとにかくいいに越したことはない」という社会的コンセンサスに対して、1つの異なる切り口からの意見を投じたかったのだ。極端に山奥だと特に今後の人口減少社会で厳しくなるだろうが、程よい距離感がツボにハマる人種も存在するのだ。

 

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