AIが経済社会の基盤的インフラとなりつつある今日、人間がかつて担ってきた知的環境はどのような変化を遂げているか、また、AIが支える情報環境下で、人間に知的創造の余地は残されているか、それはどのような条件を満たすことで可能となるか。
社会学とメディア論等を専門とする筆者は、文系学問が対峙してきた人間社会の複雑性に対する洞察を念頭に、AI情報社会における人間の知的創造のための条件について、平易な言葉で語りかける。
1. 知的創造の要素
筆者曰く、知的創造というのは根本的に「対話的な行為」であり、他者との対話、コミュニケーションの中から生じると述べる。
アカデミックな領域でいえば、既存の概念や枠組みの中に、時代の変化や新しい他者との対話を通じて見いだされた<違和感>をぶつけ、概念・枠組みを脱構築していく営為とも表現できよう。その起源が<問い>と呼ばれるもので、筆者は『勉強の哲学』を著した千葉雅也氏の議論を参考に、問いの立て方にも触れている。
この点に言及するのは、特に人間の知的創造をAI情報社会に位置づける議論の中で、人間の独自性を強調する重要な視点になってくるだろうと筆者の主張から私(評者)が感じているからだ。
『問いの形成には、日々自分が身を置いている自明な世界から離脱し、それを言語的に対象化していく瞬間が必要です。これは千葉さんの言葉でいえば、ノリが悪くなる瞬間です。ノリが悪いというのは、環境のコード、つまり自分が所属する集団のコミュニケーション・コードから自分を離脱させることです。・・・この慣れ親しんだ環境のコードに疑問を持ち始めると、ふと考え込んだりして、ノリが悪くなる。そのようにノリが悪くなることが、勉強出発点であると千葉さんは言っています。』
(85‐86頁)
筆者自身、学生時代に過ごした演劇の世界で、体験的に知的創造のヒントを読み取ったと述懐する。芝居を作り上げていく中で自分の言葉がうまく役者に伝わらなかった経験から、当時の自分の言葉が伝わらなかった理由を、自分が考えたことを相手に伝えようとしたからとし、あの時本当に必要だったのは、「その役者にとって必要な言葉を発見することだった」と述べている。
筆者は、文章を書いていく中できちんと表現できたと思える時には、読者や他の何かといった他者がいる、その他者との中間地点に言葉が成立している感覚があるとして、「言葉とは本質的に関係的なもの」であると考えている。
また、知的創造は「歴史的な営み」であるとしている。本書では1830年代と1930年代に生まれた日本人が、前者は幕末、後者は戦前戦後という、激しく政治社会が揺れ動いた環境の中で幼少期・青年期を過ごしたことで、それぞれの歴史的危機に対してあるべき社会へ強い方向性を志向させる集合的意識が醸成され、その集合的意識が彼らの時代を創造的にしたと述べている。つまり、知的創造は常に<時代>と<世代>に条件づけられるということだ。
『知的創造は、根本的には歴史的な実践です。それぞれの時代を生きる、それぞれの世代の人々が、自らを取り巻く歴史的条件の中で、その条件に挑戦し、それを超えていこうとするときに創造性が生まれます。・・・その挑戦は、半世紀前では理解されなかったでしょうし、半世紀後にはもう意味を失っているかもしれません。しかし今、この時点で、皆さんには同時代への挑戦としてこだわるべき課題があるはずなのです。』
(30頁)
2. AIが持つ知性
以上が、人間が新しい物事を創造する上での条件であるとして、AI技術の浸透は、そのような条件にいかなる影響を与えているのだろうか。
筆者は、AIが情報を統計学的にパターン認識・処理する能力において、人間を凌駕する力を示すと述べている。医療分野においてAIは、何万ものの病理ケースを「絵的」に分析し、分析対象と膨大な過去データとの近似性から病理判断を下す。軍事分野では、例えばドローンは標的に関する形態や行動パターン等のあらゆる情報をインプットさせ、補足した対象が過去の分析データと統計学的に近似していると評価を下し、殺戮オペレーションを実行する。
筆者は、どのような分野でも、人間が行う意味を前提とした論理的推論ではなく、一定の条件付けと統計的分布に基づいて判断を下すというのがAIの特徴であるとし、そのケイパビリティを見極め、人間との決定的な差異を見出そうとする。
『それまでのコンピューターが文化に近づこうとしていたのに対し、現代のAIは自然に近づこうとしていると言ったら言い過ぎでしょうか。つまり、イメージか言語化という対立でいえば、圧倒的にイメージの側の要素の集合を、文法だとか意味だとかとは関係なく、ただ精密に画像認識し、そこにある要素を抽出し、大量のデータを基礎にその共起的の度合いや類似と差異を統計的に識別していくことに注力するのです。』
(172頁)
3. AIと危機
AIは人間の社会的活動の本質的な要素を持ち合わせていないと筆者は言う。それは、人間は「歴史的存在」であり、社会を安定的に形成していく上で「信頼」を糧にする生き物であるということだ。
前者について、人間社会に訪れる危機に対して、これまで人類社会は歴史上の危機を乗り越える中で得られた洞察をレバレッジに、新しい時代の危機を乗り越えてきた。
後者については、人間は究極的には「信頼」をベースに、一国の政治上の危機や戦争を収束させてきたが、AIは戦争を始める契機にはなっても、戦争を終結させる能力を持ち合わせていない。なぜなら、戦争という、複雑な因果の上に生起し、その時点において多様なステークホルダーが交じり合う事象を収めるには、当事者が過去の因縁を乗り越え、危機がもたらす規模やエスカレーションの見立てを共有し、当事者の利害を汲んだ合意形成、つまり妥協が必要であるからだ。
その妥協のベースとなるものが信頼であるが、信頼は歴史的な条件に左右される。トートロジーかもしれないが、信頼が歴史的条件をベースに成立する以上、危機とは、人間の本来的な力が試される問題といえるのだ。
AIがこなせるのは、これまでのデータのパターン分析により得られた一定条件下の正確な応答の確保でといえるが、危機は、その一連の条件群を満たさない次元で物事をどう安定化させていくかという問題である。言い換えれば、AIにできることは所与の条件下での正確・高速な情報処理であっても、どのような意味に向けて処理をすれば良いかとの判断は、人間の領分にとどまっている(少なくとも、現在はそうであると評者は考える)。
危機という、過去の概念・枠組み・常識では克服しきれない状況下において、論理的な道筋を立てて「意味」を再構成し、他者との共有から信頼をつくる、そのようなプロセスが知的創造の核心ということであり、AIの代替不可能な側面であると筆者は考えているのだろう。
人間は、現実に、数多くの予測不可能だった事象に立ち向かいながら社会を形成してきたが、歴史的に形成された知恵や洞察が、次の危機を乗り越える信頼の知的基盤になるということが、現在のAIが備えていない、人間に特徴的な知的側面と指摘できる。
『歴史や社会に潜在する非連続性や予測不可能性を突き抜けていく思考は、果たして可能なのでしょうか?読者はもうお分かりだと思いますが、これこそが知的創造の根幹的な問いです。膨大なデータを精査すれば浮かび上がるような連続的なパターンではなく、異質な他者や異なる自明性を生きた時代と対話し、人々の考え方が劇的に変化していく時代の中で、それを超えるヴィジョンを構想していくことが、知的創造の核心です。』
(215‐216頁)
4. AIと人間の知的同化?
筆者のいう知的創造の条件としての他者との対話について、対話は、話し手の立場を前提に、言葉を媒介して行われる。
ただ、今後AIの発展によって、AIが人間とは自立した立場を有するようになり、統計的なアプローチでデータを正確かつ高速に処理する存在から、「構造」の予測不可能性を前提とし、「構造」の経営や「危機」の克服のために他者との信頼の形成が究極的には必要と認識し、論理的思考を処理の手法とする時代が来れば、人間の唯一性とみなされてきた知的さは、AIとの代替が成立するのではないか。
上記の人間特有の対話と信頼を核心とする知的部分をAIが代替できるようになれば、少なくとも理屈の上では、創造性までもAIに代替される。
そのような時代が来るか否かについて、筆者は、技術革新と市場の関係史への洞察から、そのような時代は来ないと述べる。その根拠は、技術革新には市場の需要が必要であり、人間にとって過去どのような技術でも一定程度の需要が満たされれば技術への期待は飽和し、次なる技術革新に必要な投資を行わなくなるという経験則である。
その観点から、人間知能とAI知能の逆転を指すシンギュラリティ(技術的特異点)は起こりえないと筆者は評価するが、AI自身がパターン認知を超えた自己学習能力を保持するとなれば、市場における需要というこれまでの技術革新の前提が崩れることになる。
AIがどこまで人間特有の知性を自己学習できるか、それこそ、信頼が過去の人類社会の危機を克服する決定的な要素であると認識させれば、統計的手法から信頼形成の人類史についてデータ学習し、様々な利害関係者が合理的と判断する戦争解決のモデルを提示してくれるかもしれない。
かつての科学技術とAIの大きな違いは自律性や自己学習の有無にあるといえる。これまでの科学技術は市場による需要を養分として革新を繰り返してきたが、AIにはアルゴリズムという自律的機能から、市場から自由になる可能性はないと言い切れるのだろうか。
この点は本書の問いかけを超えるものであり、AI技術論にまかせるしかないだろうが、少なくとも現代のAIとの関係では、対話性と信頼性、歴史的存在という側面が人間の独自性として評価でき、人間の知的創造の契機は残されているようである。少なくとも、その特質への洞察を深めることがAI時代における人間の知的生存の条件かもしれない。
編集部より:この記事はYukiguni氏のブログ「On Statecraft」2025年9月20日のエントリーより転載させていただきました。