黒坂岳央です。
筆者はほぼ毎月のように、子どもの学校イベントや会合に参加しており、気づくことがある。
ママは初対面でも笑顔で会話が弾むことが多い。お互いの子どもの話題に触れれば自然と場が和み、盛り上がって交流が広がる。ところが、パパはそうはいかないことが多い。こちらから挨拶をしても返事すらしない人も少なくない。無表情で仏頂面なので「機嫌が悪いのか?」と感じることもある。総じて愛想が悪く、会話を避ける傾向が目立つ。もちろん、全員ではないが概ねそうした傾向がある。
分かっている。彼らは愛想が悪いだけで本当はいい人たちなのだ。愛嬌がないのもただ恥ずかしいだけで、深く話せばいい人もたくさんいることを知っている。問題は周囲はそう思ってくれず、大抵は相手から敬遠されて終わりになることだ。そうなれば自分が損をする。
kimberrywood/iStock
昔は度胸、今は愛嬌
昔から「男は度胸、女は愛嬌」と言われてきた。確かに昭和の時代、サラリーマン人生の大半を同じ会社で過ごすのであれば、度胸があれば十分であり、社内の人間関係さえ乗り切れば愛嬌は不要だったかもしれない。
だが令和の今は違う。父親も積極的に育児に参加し、地域や学校行事に顔を出すのが当たり前になった。その場で無愛想に構えていると「なんとなく怖い人」「話しかけづらい人」として扱われる。
特に中年男性は基本的に相手から警戒から入られやすいからこそ、意識して愛嬌を見せる必要があるのだ。これは差別ではなく、社会的にも広く共有されているリスク感覚に基づく(もちろん自分自身も警戒される側、というメタ認知はできている)。
実際、自分自身もオジサンであり、同年代を敵視する意図はない。それでも、もし自分の子どもに知らない中年男性が近づいたら、無意識に警戒心が働く。だからこそ、オジサンこそ意識的に愛嬌を見せることで自分が損をしないのだ。
愛嬌は家庭でも仕事でも「資産」になる
愛嬌の効用は家庭や地域に限らない。むしろ仕事でこそ力を発揮する。
筆者がまだサラリーマンだった頃、取引先との飲み会があった。当時は若さゆえにうまく振る舞えず、翌日上司から厳しいフィードバックを受けた。「昨日の振る舞いはダメだ。君はもっと相手に気遣いをする姿勢を見せることが大事。相手につまらなそうにしていると感じさせたら負け。接待は我々が盛り上げる役なのだから。これは仕事だよ」という指摘だ。
深く反省してそれ以来、完璧に場を仕切ることはできなくても、「相手に配慮している」と伝わるよう努力することを心がけるようになった。実際、それだけで取引先からの反応も良くなり、相手の喜ぶ顔が見られて自分も自然と楽しくなっていった。
昨今は個人主義が広がり、「飲み会の盛り上げ役なんて時代遅れ」といった声もある。だが現実に接待や会食は仕事だ。海外でも先進諸国では形を変えてこうした接待はどこにでも存在する。接待は自分がやりたいかどうかを問われる場ではない。上司を含めて進んで行きたい人など誰もいないのだからわがままは通らないし、社交的な振る舞いができなければ結局自分が困ることになる。
若い頃はまだいいが、中年になって気遣いができないビジネスマンはかなり厳しい。愛嬌や気遣いがなければ、仕事の実力で100%能力を判断される世界線になるので、飛び抜けて優秀でないなら自分で自分の首を絞める。さらに良い年になって思考や行動が幼稚だと誰も近づかなくなる。
つまり、愛嬌を持つことは「相手を喜ばせるため」だけでなく、「自分が損をしないため」にやるものだ。
◇
色々と論じてきたが、愛嬌がいいオジサンは差別化しやすい。女性より無愛想な人が多い中で、フレンドリーで明るく、元気よく挨拶できれば人が集まってくる。筆者は手前味噌ながら、明るく元気よく社交の場に出るようにしているので、初対面でも仲良くなれていると思っている。
世の中に出来る人があまりいないからこそ、スキルとしてオジサンは愛想を良くするとメリットが多い。
■最新刊絶賛発売中!