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正直告白しますが、私、つい最近まで落語のオチを完全にナメてました。
「ダジャレで終わるだけでしょ?」って思ってたんです。オヤジギャグの延長線上みたいな。でも先月、たまたま見た志の輔の新作落語で、完全に考えが変わりました。
「教養としての落語」(立川談慶 著)大和書房
[本書の評価]★★★★+(85点)
【評価のレべリング】※ 標準点(合格点)を60点に設定。
★★★★★「レベル5!家宝として置いておきたい本」90点~100点
★★★★ 「レベル4!期待を大きく上回った本」80点~90点未満
★★★ 「レベル3!期待を裏切らない本」70点~80点未満
★★ 「レベル2!読んでも損は無い本」60点~70点未満
★ 「レベル1!評価が難しい本」50点~60点未満
あの人のオチって、ダジャレは使ってるんですが、その瞬間に「あー、そういうことか!」って物語全体の見方が変わるんですよね。最初聞いた時は「うまいこと言うなあ」程度だったんですが、帰り道でじわじわ効いてきて。気がついたら、電車の中で一人でニヤニヤしてました(恥ずかしい)。
で、気になって色々調べてみたんですが、落語のオチって思ってたより全然深いんですね。
例えば「時そば」。あれ、単純に時間をごまかしてそば代をちょろまかす話だと思ってました。でも実際に聞いてみると、江戸時代の庶民の生活感とか、ちょっとした悪知恵への愛おしさとか、そういうものが全部最後のオチに集約されてる。
特にすごいと思ったのが、オチの瞬間に観客が「やられた!」って思うと同時に、演者と一緒になって笑えること。これって現代のエンターテイメントにはなかなかない感覚です。
TikTokとかYouTubeって、確かに瞬発力はあるんですが、あとに残るものがないんですよね。見た瞬間は面白いけど、次の動画見たら忘れちゃう。でも落語のオチって、何日経っても思い出し笑いできる。
あ、そうそう。最近気づいたんですが、落語のオチの技術って現代のコンテンツにめちゃくちゃ応用されてません?
例えば、最近ハマってるポッドキャスト番組があるんですが、毎回最後に「あー、そういうことね」ってなる終わり方するんです。これ、完全に落語の「考えオチ」の構造。聞いてる時は気づかなかったけど、落語知ってから「あ、これだ」って分かりました。
それと、Netflixのコメディスペシャルとか見てても、日本人の芸人さんって明らかに落語の影響受けてるなあって思います。特に間の取り方とか、最後のひっくり返し方とか。外国のスタンドアップとは全然違う。
でも一番すごいと思うのは、落語のオチって「予定調和」なのに面白いってことです。みんな最後にダジャレが来るって分かってる。それでも笑っちゃう。これって、かなり高度な技術じゃないですか?
後輩に落語勧めてるんですが、最初は「古くない?」って反応でした。でも一回聞かせたら、「なにこれ、めっちゃ面白い」って。特に現代の若い子って、むしろ新鮮に感じるみたいです。
あと、個人的に面白いと思うのが、落語のオチって「完璧じゃない」ことが多いんですよね。ちょっと強引だったり、微妙に意味が通じなかったり。でもそれが逆に人間らしくて好きです。
YouTubeとかって、みんな完璧なコンテンツ作ろうとしすぎてて疲れません? 落語のオチって、「まあ、こんなもんでしょ」っていう緩さがある。それでいて、なぜか記憶に残る。
正直、最初はバカにしてた自分が恥ずかしいです。ダジャレで笑うなんて低レベルだと思ってました。でも実際は、言葉の多重性を理解して、文脈を読み取って、演者の意図を汲み取って――めちゃくちゃ知的な作業なんですよね。
というか、現代人って逆に言葉遊びが下手になってる気がします。LINEとかTwitterとかで短文ばっかり書いてるから、落語みたいな複雑な言葉の仕掛けが作れない。
でも落語聞いてると、日本語ってこんなに豊かで面白い言語だったんだなって再発見できます。これって、めちゃくちゃ贅沢なことじゃないですか?
まあ、落語ガチ勢の人からは「まだまだ分かってない」って言われそうですが。でも、こういう「にわかファン」がいるのも悪くないでしょ?
とりあえず、今度は生で古典落語聞きに行こうと思ってます。オチで笑えるかどうか、試してみたい。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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22冊目の本を出版しました。
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