最近、ハラルなどのイスラム教の慣習を容認する自治体が出てきた。北九州市は豚肉抜きの給食を検討していたが、抗議が殺到してやめた。宮城県はイスラム式の土葬墓地を検討したが、これもやめた。
ハラルはムスリムが食べてもいい食物で、逆に豚肉は「ハラム」として厳格に禁じられている。これは民間では採用しているレストランがあるが、日本政府や自治体は認めていない。
ハラル・ジャパン協会
イスラム教は「不寛容」の宗教
私は一般論としては、参政党のいうような外国人排斥には反対だが、ムスリムは特別である。彼らは異教徒に同化せず、異教徒を同化させようとする。コーランには「神も終末も信じない者と戦え」と書かれているからだ。日本では「本来のイスラムは平和的だ」という人が多いが、これはコーランに書かれた不寛容の教えを各国政府が抑圧してきたためだ。
イスラム教は、コーランやハディース(ムハンマドの言行録)の解釈の体系だが、そのテキストは膨大で、ほとんどのイスラム教徒は文盲だったので、その解釈は法学者が独占していた。しかし20世紀に識字率が上がり、インターネットの普及でコーランを直接読むことができるようになったので、一般の信徒が「真の神の教え」に目ざめたのだ。
これはキリスト教の宗教改革に似ている。カトリック教会でもラテン語訳の聖書は教会にしかなく、説教もラテン語で行われたので、一般の信徒にはお経を聞くようなものだったが、聖書のドイツ語訳が印刷されると、多くの信徒がそれを読んで教会の教えに疑問を持ち始めた。
教会が神の代理人として信徒を支配するカトリックは聖書の教えに反するので、教会なしで聖書の教えに従って行動するのがプロテスタントである。イスラム教にも教会はない。イスラム原理主義は、キリスト教の歴史を500年遅れで繰り返しているのだ。
イスラム教は世界最大の宗教になる
世界のイスラム教徒は約16億人で総人口の23%を占め、キリスト教徒の24億人と合計すると人類の半分を超える。イスラム教の目的は世界征服で、子供を産んでムスリムを増やすことも聖戦(ジハード)なので、出生率は2.7人と高い。イスラム教は2060年にはキリスト教を抜いて世界最大の宗教になると予想されている。
キリスト教もイスラム教も、起源はユダヤ教にある。地中海の東岸に生まれたセム系の一神教がこれほど多数派になったのは、異教徒に対する不寛容が原因だった。ほとんどの宗教では他の宗教がどんな神を信じていようと気にしないが、イスラム教は世界に唯一の神があると考え、それを信じない異教徒と戦って勝利した者が天国に行けると考える。
死を恐れない宗教は戦争に強い。イスラム教に聖職者はいないので、コーランの教えが絶対である。21世紀にイスラム原理主義が増えている原因は、識字率が上がり、インターネットでコーランの恐るべき教義を多くの人が学んだからだ。
ムスリムとの「宗教戦争」の始まり
宗教改革は宗教戦争を生む。活版印刷がプロテスタントを生んだように、インターネットがイスラム原理主義を生んだとすると、ムスリムとの戦いは長期にわたって続くおそれが強い。ルターが「95ヶ条の論題」で宗教改革を開始したのは1517年だが、ドイツの宗教戦争は1871年にドイツ帝国が生まれるまで350年以上も続いた。
中東で起こった宗教戦争のあおりで欧州に難民が押し寄せ、すでに大混乱が起こっているが、この混乱は日本にも持ち込まれるおそれが強い。欧州の経験を教訓にすると、ムスリムの不寛容に対して自治体がハラルを容認するのは間違いのもとである。
キリスト教の寛容はプロテスタントとカトリックの和解ではなく、宗教戦争を批判したジョン・ロックの「寛容についての手紙」(1689)に始まる休戦協定だった。それは国家の宗教への介入を禁じて、プロテスタントとカトリックの平和共存を求めたものだ。
ハラルをファッションとして消費するのは自由だが、政府や自治体が公権力でハラルを強要してはいけない。歴史の教訓から考えると、イスラム教がキリスト教のように成熟し、ロックのような自由主義を認めるには、あと100年以上かかるだろう。