「グリルする」。カタカナ英語が増えた日本でもまださすがあまり使われていないかもしれない言葉です。グリルといえば熱い鉄板の上でジュージュー焼くイメージがありますが、例えば焼肉の代わりに田久保市長や小川市長がそこに乗っかっているイメージをもっていただければおわかりなるかと思います。つまり意味はとっちめるとか質問などで攻めるという意味です。一定の攻撃対象というニュアンスですが、今回、その対象がSNSになりつつあるという話題を振ってみたいと思います。
SNSに対する賛否は私がここで書くまでもないと思います。またご利用の皆様自身がある程度それは認識されていると思います。すっかり社会になじんでしまい、今後、更にAI化が加速する中で人間とテクノロジーの関係は切っても切れないところまでやって来たわけです。
当然様々な弊害があります。子供が寝ずにゲームをしている、視力も学力も落ちた、本を読まなくなった、情報操作されている、自分の好きなこと以外世の中で何が起きているか全然わからない…。
特に子供の教育にSNSは邪魔しているのではないか、これが世の第一反応だったと言ってよいでしょう。先鞭をつけたのが香川県。同県議会が2020年に子供のゲーム依存症対策を目的として条例化したもので同年4月に施行されています。内容は「同条例は18歳未満を対象として、ゲームの利用時間を1日60分、休日は90分までとし、スマートフォンは中学生以下が21時まで、それ以外は22時までとする目安」(ウィキ)となっており罰則規定のない努力目標であります。様々な意見が飛び交い、日本で初のネット規制と言われましたが、教育県の香川県らしさがあってユニークな取り組みだと私は感心していました。
次にオーストラリアがSNS規制を行いました。あれだけの規模の国家が16歳未満の子供のSNSへのアクセスを禁じ、IT企業側に罰則規定を設けたことが注目されました。実質的には子の縛りも緩く、実際には各家庭で運用が任されている感じですが、少なくとも学校で友達同士がその会話で盛り上がらなくなるという一定の歯止め効果はあるのだと思います。
次いでもっと規制を加えようとしたのがネパール。先般の大規模なデモで死者が50名以上も出たニュースを目にした方も多いと思います。こちらはさらにパワーアップで大人もSNS禁止にしようとしたのです。背景は政府への批判、更にはSNSを通じた誹謗中傷で世間が制御不能になったことがきっかけです。もちろん政府側の自己防衛という意志が強かったのだと思いますが、いくら何でもやり過ぎたと言えます。その後、首相は辞任し、その禁止令も撤回されています。
そして遂にEUもSNS規制に入ろうと検討を開始しています。2026年後半に法案提出を目標に検討を進めていますが、基本は青少年へのSNSアクセスへの一定の規制や依存症になりやすい仕組みを禁止するものです。
例えば動画など一本見るとその次に自動再生で似たような内容やAIが好きそうだと判断したものを勝手に流してくれる機能は依存症になりやすいというものです。なるほど、私もラブライブのYoutube音楽を聞きながらトレッドミルの上を走っていると勝手にラブライブの動画がどんどん出てくるのです。操作しなくてよいけれど確かに熱狂的なファンなら依存症になると思います。更には犯罪的な行為も含め、まだ大人になっていない子供への教育や成長過程での影響に神経をとがらせているとも言えます。
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こう見るとSNSへの過度な依存への懸念が世界的に広まりつつあると言ってよいのでしょう。とはいえ、いくら子供向けに規制をしてもその親がスマホ中毒になっていれば意味がないのです。親の背中を見て子は育つ、というでしょう。社会全体がSNSとどう付き合っていくか、冷静に見つめる時期にあるのだと思います。
かつてフェイスブックやツィッター(今のX)が始まった時、大人も子供も狂ったようにそこにはまっていきました。私は自己防御機能が働き、両方ともやらなかったのですが、「お前、やらないと仲間に入れないぞ」と脅しのようなことも言われ、「なら結構。入らない」と申し上げたことがあります。結局、私は仲間外れになることもなく、今でも普通に仲間と時折会ったり、やり取りしています。また私の周りではSNSを自主的に止める人も結構いて、「人ののぞき見してもしょうがない」「自分は自分」というスタンスを貫く人が増えています。
一方で私のように20代の若者からかなりご年配の方まで幅広い年層の方とやり取りがあるとあまり我儘も言えない時代になってきています。若い方にEmailを送ってもなしのつぶて。どうしたものかと思い、電話してみれば、「あ、すいません。Emailは全然チェックしていません。これから見るようにします」と。となれば老若男女、とりあえずやり取りできる共通項はLINEしかないと思い、当地でLINEグループを作ったらご年配の方から「LINEって名前を聞いたことあるけど触ったことない」と。「えっ、ではどうやってお仲間とやり取りを?」と聞けば「電話のテキストメッセージよ」と。要はいろいろありすぎて訳ワカメというか、ケースバイケースで使い分けねばならず、実に面倒くさいのです。
それこそ前橋市長のようにリアルのコミュニケーションでもラブホでやり取りすることが当然の選択肢と考えるようになったのは驚きでもありますが、それが今後普通になってくるかもしれません。カラオケルームがミーティング場所でよく使われるのは今や常識とも言えます。今まであった既成概念を全く逆手に使うということでありましょうか?
個人的にはどこかで揺り戻しのような現象、やり過ぎに対する反省や増えすぎたコミュニケーション手段の淘汰、アンチSNS的な動きも出てくるような気がします。あくまでも個人の裁量であり、誰から強制されるものでもないのですが、一定の線引きは必要なのでしょう。
SNSコミュニティという世界が生まれたわけですが、当然そこにはダークサイドもある訳です。SNSで知らない人同士が繋がっていたら悪い道に誘われたという社会事件はよく耳にします。このあたりへの歯止めが今後、SNSについて大きく議論されてくるものと思われます。そしてその議論は今の社会では必要な議論であり、政治家にはそれが不人気な政策案で自分には将来不利だ、と思わないでもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年10月12日の記事より転載させていただきました。