「靖国神社を知ることはわが国の国史を知ることであり、靖国神社の未来を語ることはわが国の将来を語ることでもある」
戦後80年の今年、共に戦後生まれで直接戦争を経験していない二人の対談が実現した。
一人は、いわゆる「A級戦犯」として自らの命をもって戦勝国による裁きを受け入れた東条英機のひ孫である東條英利氏。戦後、「A級戦犯の家族」としての一族が受けた凄惨な経験がDNAとして体に刻まれた稀有な人物である。
もう一人は、日本外交史の専門家である久野潤氏。日本外交を語るにあたって神道と戦前戦中に海外に続々と建てられた神社の役割を重視し、新たな視点を国際政治史に持ち込んだ新進気鋭の外交史家である。久野潤氏は私と同年齢の45歳であり、敗戦から35年を経て生を受け豊かな時代しか知らない平和ボケ世代である。同世代が語る靖国論には大変感慨深くなると共に、戦争当事者ではない客観性や素人目線を理解した上での対談は、若い読み手の理解を助けてくれる。
本書では、靖国神社が建立された当時から現在までの状況を整理するとともに、戦没者が祭られている全国各地の護国神社を始めとした神社の役割にも議論が及ぶ。明治以降のわが国の戦史や戦後の中国や韓国の干渉と日本国内の事情についても語られることから、いわゆる靖国問題の本質が明快に炙り出される。
そして戦後で一番厳しい安全保障環境と言われる現在の状況を考えれば、わが国が大国間の戦争に巻き込まれないとも言い切れない。万が一にも犠牲者を出してしまった場合、その英霊に我々は如何に向き合わねばならないのか。靖国神社を通して、読み手には日本の過去と現在を整理し、未来を考えてほしいと思う。
敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花
靖国神社は戦没者を慰霊するだけではなく、わが国の戦史を学ぶ場でもある。本書では本居宣長の和歌を紹介しながら、敷地内に立つ遊就館の特攻隊展示に言及する。敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊という部隊名を上げながら、旧日本軍が歴史の連続性を意識していたことを証明している。
当然ながら組織解体後に再建された現在の自衛隊も、昭和20年8月15日を機に過去と完全に断絶された訳ではない。精神的または伝統的な慣習などを通して、命を落とした先人たちの魂をしっかりと受け継いでいると考えるべきであろう。
そうであれば戦勝国による一方的な裁判で刑死した人たちを、今を生きる私たちが戦争犯罪者と呼び続けることにも疑問の余地が出てくる。戦争責任者ではあっても、本当に戦争犯罪者だったのだろうか。戦争を経験せず、東京裁判史観から自由であればこそ、神社の役割や機能に焦点を当てながら、わが国の戦後史を柔軟に振り返りたい。
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『神話でも戦争美化でもない靖國神社 日本人の“祀る心”を問い直す』