TikTok、300万回再生。映画化。累計部数21.5万。成功ですね、で済ませたいんだけど、正直に言うと、モヤモヤしてるんだ。なぜこんなにバズったのか。
「ストロベリームーン」(芥川なお 著)すばる舎
最初の理解の浅さ
最初、単純だった。「あ、また余命ものね」って。『君の膵臓をたべたい』『余命10年』みたいな。女の子が余命半年、同級生と恋をして、最後は察しの通り。だからなに、って感じ。
ところが。メチャクチャ刺さってる。特にZ世代。そして大人にも。なぜだ。
僕ら、死を忘れてる——あ、思い当たった。僕ら、死を忘れてるんだ。というか、死を見ないようにしてる。
コロナが終わって2年。毎日が日常に帰った。朝起きて、スマホ、学校、仕事。そのサイクル。すると、何が起きるか。死という、あらゆる時間を無効化する概念が、日常という霧の中に消える。だからこそ『ストロベリームーン』は、その霧を一度だけ晴らしたんだと思う。いや、違う。霧の中だからこそ、その光が輝いた。
芥川なおが「ピュアなものを全部、この小説に溶け込ませた」って言ってたけど、結局ね、それは「限られた時間」という認識なんだ。限られてるから一生懸命。限られてるから毎瞬間が貴重。限られてるから、好きな人とストロベリームーンを見ることが、普通の大人には考えられないくらい大事になる。
一方、僕たちはどうか。日常は「無限」だと思ってる。だから何もしなくていいと思ってる。明日がある。来週がある。来年がある。だから今日、好きな人にLINEしなくていいや。——そう思ってる間に人生が過ぎてく。
で、いよいよ来たぞ。その直後、その子たちは「高校に行く」と決める。両親が悲しむなか。で、好きな人ができたら、その日のうちに告白する。躊躇ってる暇なんて、ない。
感動とメタな現実
感動話としては素晴らしい。でも、メタで考えると——この話が刺さるってことは、僕たちが「死ぬまでずっと後回しにしてる」って自覚してるってことじゃんか。悟ってるんだ。無意識に。
自分たちの人生が、ずっと「後回し」だってこと。で、その現実から目を背けてるってこと。その、鬱屈した気分が、『ストロベリームーン』を読んだ時に、ぐわっと表に出てくる。
だから部屋でスマホをいじってるZ世代が泣く。日向の「全力さ」に、自分たちが欠けてるものを見てるんだ。毎日、全力を出してない自分たち。死という制限時間があるのに全力で萌を愛する日向。その対比が、グサッと刺さる。
で、これ悪いか?いや、悪くない。むしろ健全だ。自分たちが後回しにしてることに気付く。それが最初の一歩だから。『ストロベリームーン』を読んで泣いた後、「あ、俺も頑張ろう」って思うなら、それは素晴らしい。
ただね。ここからが重要。本当に重要なんだが。大事なのは、その「想い」が日常に帰った時に、どうなるかだ。
僕、学生時代の友人がいるんだ。名前は言わないけど、彼は『君の膵臓をたべたい』を読んで号泣してた。本当に号泣。で、その直後、彼は何をしたか知ってる?
何もしなかった。
普通に学校に行って。普通にスマホをいじって。普通に人生を後回しにしてた。感動は、次の日には霧の中に消えてた。覚えてることは、本の内容じゃなくて、読んだ時間だけ。「あ、あの本、泣いた」みたいな、一行の記憶。それだけ。
『ストロベリームーン』も、そうなるんだと思う。確信に近い。今は話題で、Xで「泣きました」。でも3ヶ月後は、新しい話題に置き換わってる。動画は再生されず。新しい小説がベストセラーになり。そして僕たちはまた「無限」の中に帰る。
映画を見たらすべきこと
人間、心変わりするし、忘れるし。それが自然。だからこそ——この話は今、バズったんだ。僕たちが「死」を忘れてるから。その忘れてることに薄々気付いてるから。だから余命半年の女の子の恋愛話が、こんなに響く。反射的に。必死に。
いや、別にいいんだ。完全に影響を与えなくても。人生を急に変える必要もない。ただ、もし『ストロベリームーン』を読んで何かを感じたなら、その日のうちに、好きな人に連絡をしてほしい。別に告白しろって言ってるんじゃない。「最近、おすすめの本があってね」でもいい。「元気か」でもいい。何でもいい。ただ、躊躇を一つ、減らしてほしい。
萌は高校1年で入学式の日に告白した。躊躇ってない。だから君も躊躇んなよ。
明日、確実に来る保証なんて、ないんだからさ。本気だ、今のところ。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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22冊目の本を出版しました。
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