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正直に言う。墓じまいなんて、誰もやりたくない。
私の知人に佐藤さん(仮名)という方がいる。65歳で定年を迎え、やっと自由な時間ができた——と思ったら、待っていたのは墓じまいという大仕事だった。
なぜ彼がやらなければならないのか。答えは簡単だ。彼が「名義人」だからである。
「墓じまい 何をすればいいのか、教えてください!」(吉川 美津子 著)WAVE出版
独断で決めて、後で揉める黄金パターン
佐藤さんのケースで言えば、息子さんは東京で働いており、地元に戻る予定はない。「お墓、継げる?」と聞いたら、即答で「無理です」。まあ、そうだろうと思っていた。
ここまでは良かった。問題はその後だ。佐藤さんには姉がいる。姉への相談が後回しになった。いや、後回しというより、ほぼ事後報告に近かった。なぜか。面倒だったからだ(と本人は言わないが、察しはつく)。
名義人だから自分が決めていい——理屈ではそうだ。でも、お墓は家族みんなのものでもある。この矛盾が厄介なのだ。
「なんで相談してくれなかったの?」
姉からそう言われて、佐藤さんは返す言葉がなかったという。いや、あるだろう。「俺が名義人だから」と言えばいい。でも、それを言ったら最後、家族関係が壊れる。そういうものだ。
話は逸れるが、もし墓じまいじゃなくて、次の世代に継いでもらう場合はどうなるか。名義人の変更が必要になる。法律用語では「祭祀承継者」と呼ぶらしい。いかにも硬い言葉だ。要は、次にお墓の面倒を見る人、ということだ。
で、この手続きがまた面倒くさい。土地の相続とは違って登記も相続税もないから、「簡単でしょ?」と思うかもしれない。違う。墓地の管理者に書類を出さなきゃいけない。実印、印鑑証明書、場合によっては戸籍謄本まで。
なんでそこまで——と思うが、考えてみれば当然だ。誰でも勝手に名義変更できたら、お墓の管理なんてメチャクチャになる。
ただ、これも生前にできる。名義人が元気なうちに、「もう俺は管理できない」と判断したら、変更すればいい。そのほうが、死んだ後に慌てて手続きするより、よっぽどマシだ(と私は思うが、実際にやる人は少ない。縁起でもないと思われるからだろう)。
「体力があるうち」という残酷な真実
墓じまいを始める最適なタイミングは、いつか。答えは明確だ。今だ。
いや、もっと正確に言おう。定年退職した直後。65歳前後。まだ体が動くうちに。
なぜなら、墓じまいはとにかく動き回るからだ。改葬先の見学、石材店との打ち合わせ、役所での手続き、お寺との交渉——数え上げたらキリがない。しかも1年がかりだ。
だから、定年後。時間に余裕ができて、でもまだ体力がある、その微妙なタイミング。佐藤さんはそこを逃さなかった。これは正しい判断だと思う。
ただ、皮肉なものだ。やっと自由になれると思った矢先に、墓じまいという大仕事が待っている。第二の人生のスタートが、先祖の墓の始末。なんだか切ない。
特に地方だと、運転できるかどうかが大きい。お墓が山の中にあったりする。バスなんて通ってない。タクシー? 片道5000円かかる。
墓じまいは、結局のところ、誰かがやらなきゃいけない。その「誰か」が名義人だ。決定権があるというより、押し付けられている、と言ったほうが正確かもしれない。
佐藤さんは、息子の事情を聞き、姉にも(遅まきながら)相談し、自分の体力と相談して、墓じまいを決めた。100点とは言えないが、及第点だろう。
あなたが名義人なら、どうするか。
先延ばしにして、もっと年取ってから考える? それもいい。でも、その時には体が言うことを聞かないかもしれない。運転免許もないかもしれない。判断力も落ちているかもしれない。
「いつかやろう」は、「やらない」と同義だ。厳しいことを言うようだが、それが現実だと思う。
※ ここでは、本編のエピソードをコラムの形で編集し直しています。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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