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先日、友人が納骨堂を見学に行った時の話を聞いた。
受付で名簿を渡され、「こちらにお名前と住所、電話番号をお願いします」と言われたらしい。友人は戸惑ったが思わず書いてしまった。
「墓じまい 何をすればいいのか、教えてください!」(吉川 美津子 著)WAVE出版
週に数回の営業電話が彼らの仕事だ
「先日はご見学ありがとうございました。その後、ご検討はいかがでしょうか」
営業電話だ。しかも、一度では終わらない。週に数回、「いかがですか」「まだお決まりではないですか」。友人は後悔した。なぜあの時、書いてしまったのか、と。
誤解しないでほしい。民間霊園が営業するのは当然だ。彼らはビジネスでやっている。見学に来た人は「見込み客」だ。連絡先をもらって、営業する。それが仕事だ。
問題は、見学者側がそれを知らないことだ。
納骨堂や霊園を見学する時、もう一つ大事なこと。必ず予約すること。
「見学くらい、ふらっと行けばいいじゃん」——そう思うかもしれない。でも、予約なしで行くと、担当者がいない。受付の人は「申し訳ございません、本日は担当が不在で……」と言われる。
わざわざ遠くまで来たのに、時間の無駄だ。それに、見学は思った以上に体力を使う。霊園は広い。納骨堂も何フロアもある。歩きやすい靴で行かないと、後で足が痛くなる(経験談)。
さて、話を戻す(脱線しすぎた)。最近、納骨堂が人気らしい。理由は明確だ。アクセスがいい。天候に左右されない。
従来のお墓は、郊外や山の中にある。車がないと行けない。雨が降ったら大変だ。足元は泥だらけ、墓石は濡れている。高齢者には厳しい。納骨堂は違う。駅の近くにある。屋内だから、雨でも関係ない。エアコンも効いている。まるでホテルのロビーみたいなところもある。
特に北海道とか、雪が多い地域では納骨堂が増えている。冬の墓参りがどれだけ大変か、想像してほしい。雪をかき分けて、墓石を掘り出して——考えただけで気が滅入る。納骨堂なら、その苦労がない。だから選ばれる。シンプルな理由だ。
お墓を開けたら、知らない人の骨が
ちょっと、恐ろしい話をしよう。古いお墓を墓じまいする時、納骨室を開ける。そこに何体の遺骨が入っているか、事前にはわからない。
「4体のはずだ」と思って開けたら、5体あった——これ、本当にあるらしい。
誰の骨かわからない。戸籍謄本を調べても、名前が出てこない。生まれてすぐに亡くなった子供とか、戸籍に載っていない場合がある。昔は、そういうことがあった。
じゃあ、どうするか。役所に提出する改葬許可申請書には、遺骨の数と、誰のものかを書かなきゃいけない。わからない場合は、「不明」「不詳」と書く。
なんだか切ない。名前もわからない人の骨を、「不詳」として移動させる。それが現実だ。
だから、事前に石材店と一緒に確認しておく。「何体ありますか?」「これ、誰の骨ですか?」——家族や親戚に聞いて、わかる範囲で確認する。
それでもわからない場合は、仕方ない。「不詳」でいい。誰も責めないだろう(たぶん)。
結論は、特にない改葬先選びは、難しい。アクセス、費用、家族の意向、将来の見通し——考えることは山ほどある。正解なんてない。だから、悩む。でも、悩んで決めるしかない。誰かが代わりに決めてくれるわけじゃない。
納骨堂にするか、別の霊園にするか、それとも散骨か。選択肢はいろいろある。どれが正しいかは、わからない。10年後、20年後に振り返って、「あれでよかったのかな」と思うかもしれない。でも、その時考えて、その時できる最善を選ぶ。それしかできない。
見学の時に連絡先を書くか書かないか——そんな小さなことでも、後で「書かなきゃよかった」と後悔するかもしれない。人生は、そういう小さな後悔の積み重ねだ(大げさか)。
まあ、とにかく。納骨堂を見学する時は、予約して、歩きやすい靴を履いて、連絡先は教えない。それだけは覚えておいてほしい。
※ ここでは、本編のエピソードをコラムの形で編集し直しています。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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