田所昌幸教授の近刊『世界秩序』(中公新書)の合評会の研究会に出て、ご本人もまじえた議論に参加する機会を得た。中公新書からは、日本の国際政治学の歴史の中で最高権威と言える故・高坂正尭・元京都大学教授の『国際政治』という題名の1960年代の名著があり、13年前に同じ中公新書から出版された『国際秩序』という題名の細谷雄一・慶応大学教授の時代を象徴した書がある。田所教授は京都大学における高坂教授のお弟子さんであり、長く細谷教授が今も在籍する慶応大学法学部で燦然とした存在感を持っていた。中公新書が、それらを意識して『世界秩序』という連続性を感じさせる題名を、田所教授に用意したのだと思われる。
ちなみに田所教授はメディア露出が好きなタイプではなく、人柄は飾り気がなく大変に気さくな方である。それで私のような者も長い間懇意にさせていただいている。ただ、それだけの人物ではない。だいぶ昔になるが、まだ私が『国際政治チャンネル』という題名のYoutube番組のホストのような役をやっていたとき、気楽に田所教授に出演を依頼した対談をしたことがあった。すると慶応系の先生方が「あれは細谷教授が作った対談だ、細谷教授でなければ田所先生を呼べるはずはない、細谷教授はやっぱりすごいということだ」といったことを、しきりにSNSで強調しているのを見て、ああ、学閥が違う異星人が余計なことをしてはいけなかったのだな、と痛感したことがある。なお、その後、特にロシアのウクライナ全面侵攻以降、私がそのYoutube番組に関わることはなくなった。
慶応大学(出身)の国際政治学者の方々は、卒業生が多く勤めているだろうテレビ局系のメディアの露出が多く、世論に特定の政策的方向性を訴える場面も目立つ。また田所(慶応大学名誉)教授と細谷教授で、経済系の土居丈朗氏慶応教授とともに、サントリー学芸賞社会経済部門選考委員会の6名のうちの3名を務めるなど、慶応大学の影響力は、現在非常に大きい。田所教授ご自身は実直なご性格からメディア露出度が低いが、細谷教授を頂点とする慶応学派というものがあるとすれば、田所教授はそのさらに上に君臨する存在である。中公新書が、三顧の礼で、田所教授のために『世界秩序』という題名を用意したのも、よくわかる。
しかし田所教授の実際の本の内容は、必ずしも「世界秩序」を正面から論じたものではない。むしろこの本の副題とされている「グローバル化の夢と挫折」が、本全体の性格をよく表現している。
「秩序」は、「静態」的な状態を示す概念だ。「グローバル化」は、英語の「Globalization」という運動を訳した概念であり、「動態」的な運動を示す概念だ。この本の主題名と副題名の間には、大きな着眼点の相違がある。実際に田所教授が論じているのは、「動態」のほうだ。
もちろん「グローバル化」が完成すれば、一つの完結した「秩序」ができあがるだろう。それによって「運動」は停止して、「静態」的な状態が維持されるだけの段階に移行するかもしれない。ただし、全く同じ状態を続けるのは、人間社会では、非常に難しい。運動の停止は、通常は、停滞あるいは衰退の始まりだ。
田所教授が、「グローバル(地球的規模)」という語の語義にこだわらず、ローマ帝国、モンゴル帝国、パクス・ブリタニカの欧州秩序の栄枯盛衰の例を検討していくのは、そのためだろう。ローマ帝国やモンゴル帝国は、今日の世界観からすれば、巨大だったとはいえ、世界的な帝国だったとまでは言えない。だが、当時の交通路の発達度を見れば、帝国内にいる人々がほぼ「全世界」と感じるような空間を支配した大帝国であった。両帝国は、地理的に「グローバル」ではなかったとしても、運動としての「グローバル化」の先例として、大きな意味を持っているのである。
「パクス・ブリタニカ」は、欧州の複数の大国が、世界的規模で植民地支配を広げ続け、遂に地表のほぼ全てを欧州の帝国支配下においてしまった時代の「グローバル化」の先例だ。大英帝国は最大領域を誇ったとはいえ、決して他の列強を完全に制圧するほどの覇権を持ったわけではない。しかし国際政治が、欧州の列強の間の「勢力均衡」の原理によって制御される時代において、島国としての特権を活かして、常に勢力均衡の調整役である「バランサー」として行動するイギリスは、特別な役割を担っていた。特に脆弱な陸軍しか持たなかったにもかかわらず、強力な海軍を擁して「海洋の自由」の原則を樹立して自由貿易の守護神となったことは、大きな意味を持った。しかしその19世紀までの欧州列強の「グローバル化」の運動も、新規の植民地支配の土地が枯渇してから、相互の調整の段階に入って、拡大を停止した。その後やがてすぐに、第一次世界大戦を迎えて、欧州を中心とした国際秩序そのものも、破綻した。
両大戦間期の移行期をへて、20世紀後半に確立されたのは、アメリカの圧倒的な国力を前提にした、国際連合憲章に記載された諸原則によって成り立つ国際秩序であった。その内実は、アメリカを中心とする集団的自衛権を根拠にした同盟ネットワークによって成り立つ国際安全保障制度と、自由貿易を原則とする国際経済制度であった。20世紀以降の「グローバル化」は、アメリカの覇権的な国力を前提にして進んだ運動であった、と言って過言ではない。
第二次世界大戦終了時に世界経済の3分の2近いGDPシェアを持っていたアメリカの覇権的な地位は、人類史上でも類例のないものだったと言える。ただし当初から、イデオロギー的立場からアメリカが制御する国際制度に参加しないソ連とその他の共産主義諸国の存在はあった。アメリカの国力が目立って停滞した1960年代末以降に、アメリカの覇権が疑われた時代があった。田所教授は、したがって今日の「グローバル化の終焉」が、どこまでアメリカの低落をもたらすかについては、慎重に考えるべきだ、とする。
確かにアメリカは復活した。ただ、アメリカが結局、「冷戦の終焉」を「自由民主主義の勝利」の物語で終えて、1990年代以降の「一極支配」とも言われた体制に進むことができたのは、非常に有力だった同盟諸国が、アメリカを中心とした秩序の維持に協力的だったからだ。たとえば1985年プラザ合意の当時、G7諸国のGDPだけで世界経済の6割のシェアがあった。アメリカ一国だけでは3割度だったが、世界経済大国上位7カ国の協調は、アメリカ中心の秩序をアメリカ単体の2倍の経済規模に引き上げる効果を持った。それはアメリカの国力の低下を補って余りあるものだった。
ただそれは6カ国の合計がアメリカと同じ程度という意味だ。日本などのアメリカ以外の6カ国にしてみても、アメリカを中心にした国際秩序を維持して、そこに自分たちが同盟国として加わるのが、最も望ましかった。
現在では、G7諸国の世界経済におけるシェアは、4割程度にまで落ち込んでいる。間に中国とインドが経済大国として入ってきたため、もはやG7は、世界経済の定7カ国ではない。G7協調体制の意味は、薄れた。
しかもG7合算GDPのうちの6割をアメリカがまかなっているので、G7協調体制の意味が、アメリカにとっては相対的に大きく低下した。アメリカ以外の6カ国が協力しても、アメリカ一国に全くかなわない、という状態が、21世紀になってから続いている。しかもアメリカとその他の諸国の間の格差は、拡大し続ける一方である。
田所教授は、あえては欧州の低落について紙幅を割かないが、現在のアメリカの地位の低下が、アメリカ以上に国力を停滞させている欧州と日本の同盟諸国の地位の低下と複合的な作用を起こして、「グローバル化の挫折」につながっていることは、言うまでもない自明の前提だろう。
現在、高市首相の「台湾有事」に端を発した日中の対立が深刻になっている。その伏線として、アメリカの庇護を求める高市首相に対して、トランプ大統領の態度が冷たい、という事象が起こっている。
高市首相 首相官邸HPより
国力を疲弊させている日本が、独自の大国として復活する見込みは、現在のところ、全くない。低経済成長、財政危機、そして底なしの人口激減にあえいで、どこまで国力が低下していくのか、見通せない状況だ。
そこでアメリカとの同盟関係は、日本外交にとって生命線と言ってもよい資産である。しかし中国が気に入らないので、アメリカに代理戦争を頼む、といったことができるわけではない。もしアメリカを都合の良い道具のように使おうとしているかのような印象を与えたら、切り捨てられるだろう。アメリカにとって日本の価値は小さくないが、それも深刻な問題を抱えたりしない限りにおいてだ。当然だが、日本の首相の尻ぬぐい役を進んで演じて、日本の代理で中国と戦争するつもりはない。現時点ではアメリカは日本を見放さないとしても、国力を疲弊させている日本の価値は低下していく一方なので、今まで以上に繊細な外交努力が必要になっていることは間違いない。
私自身の拙著で述べたことだが、アメリカは一極支配体制を牛耳るような覇権国ではなく、もはやそのような地位を維持することを目指してもいない。しかし実は欧州や日本と比べたら、よほど成長している世界の超大国だ。
「グローバル化の終焉」は、アメリカの力の低下だけによって起こっている現象ではない。むしろ、日本を筆頭にしたアメリカの同盟諸国の国力の疲弊が顕著だ。そのことをよくわきまえた外交をしていかなければ、せっかくの日米同盟の外交資産も、危機に陥ることになりかねない。
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