10代の頃は誰しも学校の勉強に追われ、試験勉強で苦労したものです。今では社会人になってからも企業内の昇格試験や外部の資格試験もあり人生、尻を叩かれ、自分にムチ打ち、頑張って来た方が多いと思います。私もご多分に漏れず、であります。
中学生の頃、深い理由もなく、やけに東大に行きたいと思っていました。なぜ東大なのか、といえば一番上だからという意識以上のものはなく、きっと頂上に登れば眺めがよいのだろう、ぐらいの感覚だったと思います。幸か不幸か、エスカレーター式の私立高校に入ってしまい、東大という意識はその瞬間に消え去ったのですが、この私立高校に入った途端、私の人生観は船酔いするほど揺らされ、悩まされ、そして新たな価値観を与えられました。
東京大学(公式HPから)
なぜか、と言えばそこに集う40名強のクラスメート、あるいは同学年四百数十名の同窓生があまりに個性豊かな集団だったからでしょう。クラスメートのバックグラウンドは「へぇ」という普段ご縁がないような方々の子女ばかりであり、例えていうなら明治時代に欧州を訪れた伊藤博文の驚きと同じようなものと言っても10代の私には過言ではなかったと思います。
結局、そこからさまざまな世界を見るようになり、クラスメートから様々な話を聞くようになり、世界観は一転したと言ってもよいでしょう。高校時代はそういう点では勉学はおろそかになり、決して成績は良くなかったのですが、今思い返せばあの3年間が今の自分の基礎を作ったと断言してよいと思います。
仮に受かっていた東大進学校とされる都立高校を選び、東大に万が一行けたとしたら、ひろの人生はまるで違い、今、ここでブログなど書いていることはなかったでしょう。
私が20年間、ゼネコンに在籍していた時も相当ユニークな存在で、私のようなサラリーマンは世の中にいないと言い切っていたほど組織と切り離された特殊な業務の連続でそこでの経験値は飛躍的なものでしたが、自分の立ち位置は決して変わることはないと思っていました。仮に勤め先のゼネコンが倒産しなければ私は従順なサラリーマンとして今頃定年退職前の名残惜しい社会人人生を送っていたでしょう。
日経の記事「英才教育では世界トップに立てない? 独大学など3万人データ分析」は非常に興味深い内容でした。内容はこのタイトルのごとし、とは言えず、人生のピークパフォーマンスの話であります。何歳にして最高の花が咲くのか、であります。英才教育というより日本の教育ママや熱血パパが良くやるように最高に良い先生について最高のパフォーマンスができるよう教育すると早咲きになるも、その花はいつまでも咲き続けるわけではないという話だと理解しました。
もちろん、スポーツ選手のように体力が伴うものは若いうちが勝負だと思いますが、学問や芸術はそうとは限らないのだと。そしてノーベル賞受賞者などを調べると遅咲きで若いうちはほとんど評価されなかったような経歴の方も珍しくないのです。
私の人生も典型的な遅咲き(いや、まだ咲いていないかも)となったのはそれまでの人生の積み上げとなるさまざまな興味や経験値がこの歳になってようやくハーモナイズしてきたからかもしれません。
Orchestrationという言葉があります。日本語では調和になってしまうのですが、オーケストラの指揮者を想像していただく分かりやすいと思います。指揮者は各楽器の音色をハーモナイズさせ、1つの音楽のカタチにするのが仕事ですよね。
私の人生もそうなんです。仕事でもNPOのことでも人間関係でもそれぞれがもつピースをどう生かすか、そしてジグソーパズルのようにそれを人生の中ではめ込んでいくわけです。そのジグソーのピースとは経験値なのです。つまり自分自身が指揮者でもあるし、各楽器の奏者でもあるのです。これが年齢と共に調和してくるのです。当然、20代や30代の時にはなしえません。その昔は知ったかぶりやらどこかでかじってきた薄っぺらな知識をひけらかしていたと思うので評価もよくなかったのでしょう。が、今は視界良好なんです。ものごとが以前よりはるかに良く見えるのですね。
東大に行っていたら20代前半にして頂上に昇りつめてしまったのかもしれません。私はその代わり、すそ野が広いいつまで登っても5合目にすら達しない果てしない山を人生すべての時間をかけて登っているのだと考えています。でも、少なくとも今立つ位置は現役東大生より高いだろうと想像しています。
今、優秀な学生が40年、50年かけて山登りする覚悟があるのかな、と思う時があります。現代社会では目に見える成果を直ちに求めます。優秀な学生がタイパを重視するあまりChat GPTを多用するのもわかるのですが、目先の世界は解が得られてもその先にある未知の世界で迷うことになりやしないでしょうか? 理想と現実の差異も大きなものです。私の周りでもそのような人はいます。東大法学部を出ても全員が日本を代表するような成功した社会人になるわけではなく、落ちこぼれてしまった人や屈折した人も幾人か知っています。
結局、世の中に踊らされたのか、自分を持ち続けたのか、その違いではないかと思います。私は早くはないけれどゆっくりまだ登り続けようと思っています。2025年も終わりに近づき、ふと振り返ればずいぶん高くまで来たな、と思う一方、ふと山の上を見るとまだそびえたつ頂きが遠くに見える、そんな境地です。だからこそ2026年も希望をもって進んでいけると思います。
では今日はこのぐらいで。よいお年をお迎えください。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年12月31日の記事より転載させていただきました。