新春信濃旅。電車を乗り継いでやってきたのは下諏訪。諏訪湖の周辺に4つある諏訪大社のうち、下社秋宮と下社春宮がある門前町です。
駅から約15分で下社秋宮に到着。1月3日ということもあって、多くの参拝客でごった返しています。三が日は駅から下社に続く道は歩行者専用になっていて車は入ることができません。
諏訪大社下社の主祭神は八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、上社本宮の祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)の妻にあたります。毎年2月と8月に祭神が遷座し、御祭神が秋から冬にかけて宿るのが秋宮です。ですので初詣に多くの参拝客の集まる秋宮に祭神がいることになります。
神話ではかつて夫婦は諏訪市にある上社に同居していたのですが、八坂刀売神だけがこちらに引っ越すことになり、その際持ち出した水の雫が途中で零れ落ちたところが諏訪温泉の噴出地となったと言われています。また、建御名方神が八坂刀売神に会いにいくときに諏訪湖を通った跡が御神渡り(おみわたり)であると言われています。
……別居してるって夫婦仲悪かったんですかね?最近は暖冬で御神渡りも見られなくなったといいますが、建御名方神も会いに行くの諦めたんですかね?
ってなことを考えながら初詣を済ませます。祈願したのはもちろん「夫婦円満」です。
冗談はさておき、下社秋宮を出て、下諏訪にあるもうひとつの諏訪大社、下社春宮に向かいます。春宮までは約1.6キロほどあるのですが、その時歩くのは中山道。下諏訪は江戸から碓氷峠を経て、木曽路経由で京都に至る中山道の宿場町としても栄えていました。街道は下社秋宮のすぐそばを通ります。
そして、下諏訪は江戸から甲府を経由して信州に延びる甲州街道の宿場町でもありました。甲州街道の終点は上の写真の警備員が立っているあたり。ここで中山道と合流していたのです。門前町であるうえ2つの街道が合流する場所であり、下諏訪は大いににぎわう宿場町だったと言われています。
八坂刀売神が綿にしみこませた湯を湯玉にした場所から湯が湧き出たとされる「綿の湯」。
さらに下諏訪は温泉地でもあります。今でも中山道沿いには温泉旅館や公衆浴場があり湯治客でも賑わっていました。八坂刀売神が持ち寄った湯玉を置いた場所から温泉が湧き出たとされる綿の湯は神聖な湯で、やましい人が湯につかると濁ってしまうとされています。きっと私が湯につかるとどろっどろに濁ってしまうことでしょう。
今も街道沿いに建つ温泉宿。
下社秋宮と下社春宮を結ぶ中山道沿いには今も宿が多く建ちます。東は碓氷峠、西は木曽路の山々を越えたどり着く諏訪の宿は神社も温泉あって、厳しい旅をする人たちにとって心安らぐオアシス的な存在だったのかもしれません。
下社春宮に至る道からは諏訪湖を望むことができます。江戸時代には家も少なく、諏訪湖も干拓前だったことからもっと手前まで湖面があったので、よりダイナミックな諏訪湖の姿を見ることができたのでしょう。
20分ほど歩いて下社春宮までやってきました。名前の通り春から夏にかけて御祭神が宿る場所です。今はここに祭神はいないからなのか、初詣に来ている方はまばらでした。下社秋宮では歩行者天国沿いに並んでいた唐揚げやフライドポテトの屋台もここにはありません。
下社春宮での参拝を済ませると、少し脇にそれて神宮のすぐそばを流れる砥川を渡ります。かつて砥川の中州だった浮島はどんな大水があっても流されない不思議な島で、下社春宮の末社である浮島社があります。
浮島を通って川を渡ると不思議な形の「万治の石仏」があります。江戸時代に下社春宮の鳥居を作るために石を切り出したところ、石から血が流れてきたため切り出すのをやめました。すると石工の夢枕にもっといい石のありかを教えてくれるお告げがあったのでそこから石を切り出し、お礼に阿弥陀如来を掘って祀ったとされています。
この石仏のレプリカっぽいものが下諏訪駅の改札前にあります。自動改札に挟まれてシュールです。
門前町と宿場町、二つの顔を持ち大いに栄えた下諏訪の町。今はそこまで多くの観光客が来ることはなくなりましたが、その面影は街道沿いに残っています。当時を偲びながら温泉に浸かり、ゆっくり街歩きを楽しむのもいいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年1月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。